乳酸菌の力で畜大発オリジナル清酒づくりをめざし
微生物が活躍する日本酒醸造の奥深さを究める

畜大オリジナル日本酒醸造のカギを握る乳酸菌の動態研究

菅原 雅之 准教授

SUGAWARA Masayuki

宮城県仙台市出身。博士(生命科学)。石巻専修大学で生物学,特に植物の分類に関する分野,その後東北大学大学院にて生命科学を学んだ。博士号取得後は,博士研究員としてミネソタ大学,北海道大学,東北大学にて勤務。一貫して「植物と微生物の共生相互作用に関する研究」に従事。2021年4月本学着任。本学では「微生物機能の有効利用」をめざし,清酒醸造や発酵に関する研究に携わっている。

微生物が持つ力に魅了され
日本酒醸造に関する研究を開始

食品(食材)に対する「微生物の働き」によって生じる状態には2種類ある。ひとつは「腐敗」,もうひとつは「発酵」だ。両者の違いは,人間の価値観によって判断されている。人間にとって有害,あるいは無益な状態を腐敗,有益である場合は発酵と呼ばれる。そして,食材が発酵してできた食品を「発酵食品」という。

発酵食品は,味噌やしょう油,酢などお馴染みの調味料のほか,納豆,キムチ,パン,チーズ,ヨーグルトなど,とても身近な食品が該当する。ウーロン茶や紅茶なども発酵食品だ。また,微生物の働きによるものではないが,魚の干物も発酵食品の一種といわれている。ここに挙げた以外にも,少し調べてみるだけで実に多くの発酵食品を見つけることができる。

こうした発酵,発酵食品に関与する微生物として「細菌」「酵母」「カビ」が知られている。いずれも,大気中など地球上のあらゆる場所に存在するほか,私たち人間を含む生物とともに生きている。

「現在取り組んでいる日本酒醸造研究の原点は,学生時代に行った植物と共生する微生物の研究です。その研究を通じて感じたのは,『微生物はすごい』ということ。生態系や物質循環を支え,いわば地球環境を維持するうえで重要な役割を担っているのが微生物であることを知ったからです」と穏やかに話し始めてくれたのは,本学で日本酒醸造に関与する微生物,中でも乳酸菌を中心に研究を進めている菅原准教授だ。

「主に食品微生物を研究することで,微生物が持つ力を食品に応用することをめざしています。その一環として,本学敷地内に設けられた『碧雲蔵(へきうんぐら)』という日本酒醸造所と共同で,日本酒醸造に関わる微生物の研究を進めているのです」という。現在は「山廃(やまはい)仕込み」という日本酒醸造方法で味わいを決めるカギとなる微生物,乳酸菌の探求に取り組んでいる。

米と麹菌,酵母から生まれる日本酒に
微生物が発揮するパワーを感じながら

ここで,日本酒とその製造(醸造)方法に触れておこう。日本酒醸造の概念を知っておけば,なぜ微生物研究者である菅原准教授が「日本酒醸造に関心を寄せたのか?」を理解できる。

醸造によって造られる酒には,日本酒のほかにビールやワインなどがある。ビールは大麦,ワインはブドウの果実が原料となる。こうした原料に含まれる「ブドウ糖(糖)」が酵母によってアルコールと炭酸ガスに分解され酒となる。これを「アルコール発酵」という。酵母は空気中や植物表面など,自然界のあらゆるところに生息している。

米が原料となる日本酒もビールやワインと同様の仕組みで醸造されるが,1点だけ決定的な違いがある。

その違いは,米の主成分は糖が鎖状に繋がったデンプンであり,そのままでは「酵母が分解できない」点から生じる。そこで,酵母が働くことができるようにするために,麹菌の出番がやってくる。

日本酒づくりは,酒米(さかまい)という日本酒醸造専用の米を蒸し,そこに麹菌を混ぜて「培養」するところから始まる。分かりやすくいえば「麹というカビを育てる」ともいえる。この麹菌の働きによってデンプンを糖に変えることで,酵母のアルコール発酵を働かせることができる。

日本酒醸造は醸造工程の違いによって,いくつかの方法に分けられる。菅原准教授が「碧雲蔵」と共同して着目しているのは,「山廃(やまはい)仕込み」と呼ばれる醸造方法。この醸造方法では,酵母とカビの一種である麹菌に加え,細菌の一種「乳酸菌」が,出来あがる日本酒の味わいを決めることになる。つまり,先に挙げた発酵に関与する微生物である細菌,酵母,カビの全てが活躍するのが山廃造りによる日本酒醸造なのだ。

「『碧雲蔵』では,醸造に携わっていただいている杜氏(とうじ)の皆さんと協力し合いながら,本学オリジナルの味わいを感じてもらえる日本酒の醸造をめざしています。私たちは,醸造に関与する微生物を解析することで,科学的な見地から醸造を制御できるようにすることをめざしています」と菅原准教授。

だが,「科学的な見地から醸造を制御」とは,どのような意味なのだろうか。

「日本酒は,外気と触れる開放された環境で醸造されるため,醸造中は常に不要な微生物が混入してきます。また,酵母によるアルコールや香気成分の生産性も細かな醸造条件により左右されます。日本酒醸造の現場では,不要な微生物の混入による影響を受けにくく、かつ酵母の働きを活かす環境制御のタイミングを,日本酒醸造のプロである杜氏の皆さんが経験によって判断しています」との菅原准教授の言葉からは,いわば職人の世界がイメージされる。

「そこを科学的に解析し,科学的な見地から制御できるようにしたいのです。科学的に制御できるようになれば,より安定した品質の日本酒を造ることが可能になります。日本酒の研究は古くから行われていますが,私たちは,最先端の科学的解析によるアプローチで,日本酒醸造における微生物の真髄に迫ろうとしています」と話す菅原准教授は続けて,「そして杜氏の皆さん,それから研究室の学生皆で協力し合いながら,本学オリジナルの日本酒を生み出したいのです」と力を込めた。

畜大オリジナルの日本酒醸造をめざし
乳酸菌の動態研究を進める

日本酒醸造における乳酸菌の働きは,麹菌によって分解された米に酵母と水を加えた「酒母(しゅぼ)」と呼ばれる液体を酸性に保つことで酵母を育て,不要な雑菌の繁殖を抑えること。現在では,酒蔵に生息する天然の乳酸菌を活かした「生酛(きもと)系」と,乳酸菌の代わりに市販の乳酸を加える「速醸系」という2種類の酒母づくりの方法がある。

「生酛系では乳酸菌が関与することで,酵母からの生成物が決まります。つまり,酵母に働きかける乳酸菌の種類によって,出来あがる日本酒の味が決まるのです。本学オリジナルの日本酒という方向で考えると,やはり酒蔵に居着く天然の乳酸菌を使った生酛系で美味しい日本酒を生み出したい」と菅原准教授。そこで最近,『碧雲蔵』で醸造された生酛系酒母の中に生息する微生物の調査を行ったという。

「結果としては,建設されたばかりの新しい酒蔵ですので,これまで知られてきた日本酒醸造向きの微生物とは異なる乳酸菌が多く、その種類も多様で驚きました。今後徐々に,低温でも生育する微生物,日本酒醸造に適した乳酸菌が増えていくはずです。楽しみですね」という。

そして菅原准教授は,「今後取り組んでいきたい課題も多くある」と話す。

「日本酒醸造にどのような乳酸菌が働き掛けているのかという点は,多くの研究者によって解明が進んでいるものの,醸造の過程で『実際には乳酸菌がいつ,何をしているのか?』については,未解明の部分が多いのです。そこで,現在は乳酸菌の動態研究に学生と共に取り組んでいるところです」。

また,「日本酒醸造の過程で生じる『酒粕(さけかす)』の有効利用法の研究にも着手していきたいと考えています。たとえば,植物肥料として活用できないか? といった方向性です。どういった物質や成分が植物に対して効果を発揮するのか。処理に困ることが多い酒粕活用方法が増えれば,農業の現場に役立てていただけると考えています」という。

日本においてはおよそ1万年前,縄文時代には「既に発酵食品は存在していたと考えられる」という。菅原准教授が取り組む「微生物」「発酵」そして「日本酒」へと思考を巡らせたとき,腐敗と発酵を見極めた先人たちの「食に対する真摯な想いと行動」に畏敬の念さえ覚える。いくら「食材の味や栄養価を高める」あるいは「お酒という楽しみ」を与えてくれる現象であったとしても,貯蔵していた「貴重な食糧」が発酵によってドロドロになり,ときには泡立ってさえいたとしたら。果たして「まだ食べることができるか試してみよう」と考えるだろうか。

だが,もしかしたら「もう食べられないのか?」という疑問解消への「直接的な行動」こそが,科学的探求の第一歩になるものかもしれない。想像力を膨らませていくと,微生物と発酵にまつわる「ドラマ」に心を奪われる。

Data/Column

酵母

ヒトの暮らしと密接に関わってきた酵母。この約5μm(マイクロメートル)ほどの微生物が,さまざまな食品に欠かせないものとなっている。

所属や肩書はインタビュー当時のものです。

掲載日: 2022年3月