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| 愛 | 科学
技術 技能 局地的環境(または環境) 健全な人間 |
時間
生命 生命サイクル |
繁殖成功度 |
概日リズムは、一日周期で変転する地球環境に適応するために生物に備わっているリズムです。30億年以上も前に誕生したと考えられているシアノバクテリアと呼ばれる細菌から私たち人間に至るまで、地球環境にうまく歩調を合わせて生きているのは、このリズムを備えているおかげです。
概日リズムの発振源は、心臓の拍動リズムのような他の生物リズムと同じように、生物体内(細胞内)にあるので、実験的に外囲の周期条件を取り除いても(恒常的環境条件の下においても)生物は、その生物に遺伝的に備わった周期でリズムを刻むことになります。この時の周期を自由継続周期といいますが、24時間丁度になることはありません。それで、このリズムを概日リズムというのです(概は約、概ねの意味)。ただし、約1日の周期のリズムという名称を与えられていますが、周期が大雑把であるという意味ではありません。
事実、概日リズムの周期は環境変動に対して極めて安定であることを特徴としています。
自然条件の下では、概日リズムは昼夜のサイクルに歩調を合わせることによって、今何をなすべきか、適切な生命活動を行っています。この歩調を合わせた状態を同調とかエントレインメントといいます。歩調を合わせるために生物が用いている昼夜のサイクルは普通24時間の明暗サイクルです。
車は足、飛行機は腕(前肢=鳥の翼)、文字は言語脳、、、、の補足・拡充。
局地的環境(または環境)
生物を取り巻く環境は、その生物が属する種に特異的である。種が異なれば全く環境は異なる。この点を強調するために「局地的」という形容を行う。
局地的環境は物理的環境と生物的環境からなる。生物的環境は、種間関係と種内関係からなる。
人間社会は最も複雑な群れ(種内関係)である。その大きな特徴の一つは、群れが技術を媒介にして維持、形成されている、という点にある。
「健全」は人間にとって望ましい状態を表す。しかし、望ましい状態というのは各人各様に異なっている。
真善美は望ましい状態である。だが、真善美の基準は個人によって異なるのである。
道徳に関係するのは善悪の基準である。悪を冒した時、人間は罪悪感にさいなまれ、恥じる。これは万人に共通したことだ。だが、何を悪とするのかは、多少のずれがある。人殺しをして平然としていられる人間は滅多にいないが、人を騙しても平然としている人間は結構いる。後者の人間には「騙す」ことが罪悪と感じられないのである。
「健全な」状態(望ましい状態)がどういう状態なのかについての普遍的了解は、現代社会ではありえないことになる。多数派の意見を持ち出せば、それは力(政治)の問題に転嫁される。そこで、とりあえず私は、人権の擁護という最低限の基準を善悪の試金石とする立場をとる。人権侵害されて不満を持たない人間は一人もいないからである。
ニュートン力学で想定する時間は、近現代の産業化社会にもぴったりする時間概念で、私たちは自然におけるその実在性を疑うことをしません。しかし、ニュートン力学的時間の実在性に対する素朴な信念は、機械の動きや巨視的物体の運動の形式が、均一で同じテンポである、という特性に由来しています。現代人は、余りにもそれに慣れ親しみ、あるいは歯車として組み込まれている。
この記述から容易に推察できるように、時間という言葉でわれわれが指している事柄(時間という頭のなかの概念が言い表しているところの自然界の対応物)は、各々の物体の運動の形式です。言い換えると、ニュートン力学あるいは機械の世界のなかにとどまる限り、抽象的時間が頭の中だけでなく自然界にも実在する、と考えて一向に困らないのです。その場合に困るとすれば、認識論上の真偽に関することだけです。
更に言い換えるならば、抽象的な時間が自然界に実在する、という理解は形容矛盾に陥っていると言っても良いでしょう。
何故なら、抽象とはあくまでも思考回路における操作(分析過程)の一つに過ぎないからです。
つまり、現実の限界寿命が1.5倍に延びるわけではない。地球上に固定された力学時計では、惑星A上の運動をダイレクトには測定できない、変換操作により計算できるから、あくまでもニュートン力学的時間には変わりない。
哺乳類は恒温動物であるから、代謝テンポはほぼ一定である(加齢や季節、時間によって多少異なるが)。
種
現在、非性的生物と性的生物の両方に通用する種の定義はありません。性的生物については、一般に、マイヤーによる定義が採用されていると思います。
種は固有のニッチを共有し、互いに交配可能な個体の集まり(個体群)である。
マイヤーによるこの定義に依れば、二つの個体群は互いに生殖隔離されているかどうかによって、同種なのか異種なのかが区別される。言い換えると、新種形成のためには生殖隔離が必要十分条件である。
生命
私の論考においては、生命という言葉をすべて「個体の生命」という意味で用います。ユーグレナ(ミドリムシ)やシアノバクテリア(藍色細菌)のように、無性的な細胞分裂によってのみ増殖する単細胞生物(非性的単細胞生物)の場合は、一個の細胞が「個体」です。
また、生命と生物は、一般的には、生命を「力」、生物を「からだ」「肉体」を指すために使い分けられて用いられていますが、現実には、「からだ」を離れた生命はなく、生命(「力」)を持たぬ「からだ」は存在しません。生命と生物の分離は、私たちの思考の中にのみ存在することに注意して下さい。
繁殖成功度の高い個体の子孫によって種は占められていく。その過程が、自然淘汰による種内進化である。
繁殖成功度が高いことを「(環境に)適応している」という。
繁殖成功度は遺伝的形質である。生物進化はすべて遺伝的変化を通じて行われるから、遺伝的形質でない事柄による子孫数の大小は、繁殖成功度や生物進化とは全く無縁である。
近代医療がなければ免疫力の弱さのために(病気に罹りやすく)若齢で死んでしまうような人は、近代以前には繁殖成功度がゼロに近かったはずであるが、現代では(その他の資質が同じなら)平均的繁殖成功度をもっているといえる。つまり、免疫力のある程度の弱さは、現代医療の進んだ社会では有害な遺伝的形質ではない。もちろん、社会が近代医療を支えられなければ、その形質はたちまち「有害」に転ずる。
繁殖成功度の高低や、遺伝的形質のよしあしは、生物のおかれた局地的環境に依存する点に注意すること。
必要とする環境(またはニッチ)は、種に固有であるから、
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