| 生物リズム学概論
概要と一つの序論 |
本ページでは概日リズム(狭義の生物時計)について考察します。
→96年度受講生による板書ノート
特に、生命と概日リズムとの関係に焦点を当てます。生命の瞬間は生命サイクルの一位相としてのみ存在しますが、概日リズムを備える生命の場合、それは概日リズムの一位相でもあります。つまり、生命には、二つの異なるリズムが一緒に流れているのです。言い換えると、生命は生命サイクルという時空秩序と概日リズムというもう一つの時空秩序の統合です。したがって、生命を科学的に理解するためには、二つの時空秩序の統合のあり方(パターン、メカニズム、原理)を明らかにすることがエッセンシャルとなります。
下記の概要は@〜Fの項目について概略を説明しており、それぞれ、より詳細な文書にリンクさせてあります。
下記の序論は、科目「生物物理学」と「生物学概論」のうち、「生物リズム学概論」に関係した部分についての復習を兼ねています。もう一つの序論については、こちらへ(準備中)。
| 概要 | 序論 |
| @概日リズムの形式的特徴
A概日リズムと生命サイクル(または細胞周期)
|
生物の時間秩序
@生命活動の四つの時間次元 A代謝テンポと生命サイクルテンポのサイズ依存性 B生命サイクル(生命とは何か、再論) 生活史(生命サイクル)のパターン 非性的な単細胞生物 性的な多細胞生物 性的な単細胞生物 生命の瞬間と生命サイクル 生物と生命(生命サイクル) 「生物」と「生命」:二つの主体 不可分な関係 時空的同一性 C生物の時間秩序 生物リズムのスペクトル 生命サイクルの骨格となるリズムと環境適応となるリズム 生命サイクルの骨格となる生物リズム 環境適応としての概リズム 生物の時間秩序(時間構造) 生物リズム学の重要性 生物のダイナミズム 生物リズム学の幕開け:1960年 生物リズム学に対する無知 生物の具体像、還元論的研究、生物リズム学 生物リズム学と人間生活(応用研究) |
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概要
ある生物リズムを概日リズムであると判定するための三つの試金石
概日リズムが内因的であることを証明する
周期が長いことは、他の生物リズムにはない特徴である)
概日リズムが、生物時計として機能的であること(温度によって乱れないので使えること)を示す
温度による周期変化は極めて小さいこと(温度係数は0.85〜1.15)も他の生物リズムにない特徴である)
温度に限らず、概日周期は環境変動に対し極めて安定である)
生物は、原始生命として誕生した瞬間から、生命サイクル(または細胞周期)という一つの生物リズムとして出発した。すべての生物は生命サイクル(または細胞周期)を描く。
これに対し、日周的な地球環境のリズムに、よりよく適応するメカニズムが概日リズムである。事実上すべての真核生物と、原核生物のうちシアノバクテリアの仲間に、概日リズムが備えられている。
生命サイクル(または細胞周期)と概日リズムは、生物の時間秩序を特徴づける二大リズムであり、相互に制御しあっている。概日リズムの諸パラメターは、生命サイクルの位相(生活史)に依存して、特徴的な変化を示す。すなわち、概日リズムは発生と老化のパターンをもっている。逆に、生命サイクルのある位相(生活史のある出来事、例えば排卵)は、概日リズムの特定の位相にしか起こらないように制御されている。二大リズムのこうした相互関係を具体的に理解することは、具体的な生命イメージを理解するために極めて重要である。しかし、この相互関係に関する研究は、他の分野に比べ著しく遅れているといえるし、人々の関心も高いとはいえない。
本節では、現在における知見をまとめるとともに、その重要性に対する注意を促す。
概日リズムの歴史的起原は物理的環境の日周変動に対する適応に求められるものと思われる。特に、光や酸素による傷害に対する逃避や防衛にどのように概日リズムが有効か、また、光や有機物などの自由エネルギーを吸収する上で概日リズムがどのように有効なのか、などについて説明する。
また、生物が水中から陸上へ分布を拡大するに当たって、概日リズムがどのように利用されたのかについて述べる。
生物が多様化し、種の数が増えていくとともに、生物の生存にとって生物的環境との関係が重要性を増してきた。種内関係、食物連鎖関係、競争種との関係など、生物的環境との関係において、概日リズムがどのように利用されているのかについて概観する。
星座コンパスや太陽コンパスにおいては、星座や太陽の動きを知るために、時間感覚が不可欠である。これは、概日リズムの利用の面で最も特殊化された方式である。
もう一つ、種形成(種分化)においても概日リズムが関係している場合がある。ショウジョウバエにおけるper遺伝子は、概日リズムのメカニズムに不可欠な遺伝子として発見されたが、種分化のための遺伝子として同定された数少ない遺伝子の一つでもある。
われわれにとって最も興味の深い生物はわれわれ自身である。このことを反映して、また医学、健康科学、労働科学、スポーツ科学、心理学、、、上の重要性を反映して、人間の概日リズムが最も多面的に研究されている。記載されている概日リズムの数も恐らく最も豊富である。たくさんの概日リズムが知られてはいるが、それぞれのリズムがどのように関係し、どのような機能をもっているのか、その生物学的意味の多くは今後の課題である。
本節では、個々の概日リズムの関係について明らかになっていることを整理するとともに、光やメラトニンの同調因子としての性格を概観する。また、どのような応用が試みられ、どのような成果が収められているかについてもまとめてみたい。
脊椎動物においては、網膜、松果体、視交叉上核の三部位に、概日リズムのペースメーカー(自発的な振動体で、光に同調する。また、他の器官や組織を振動させることができる)。この三つのペースメーカー関係について、明らかになっていることを説明する。
一方、単細胞生物では、単独の細胞にペースメーカー機能があることは当然である。単細胞生物を用いたメカニズム研究の課題は、細胞内におけるどのような相互作用によってペースメーカー機能が生成されるか、という点にある。カサノリ、アカパンカビ、ゴニアウラックス、クラミドモナス、やユーグレナなどを用いた研究をまとめて紹介する。
(生物物理学・生物学概論復習)
まずはじめに、科目「生物物理学」や「生物学概論」のうち、本科目と関連することがらについて復習しておきたい。これら三つの科目は、ともに、生物における時間秩序(時間構造、時間変化)を一つの側面として重視している。生物の形態や内部構造は時間とともに変化しているから、時間秩序は空間秩序の変化を伴った時空秩序であることに注意して欲しい。生物の場合、時間秩序と時空秩序は同義である。
さて、生物はまず3〜4つの、次元の異なる時間領域の生命活動を行っている。それは、次の4つであった。
代謝的時間領域 (生活テンポ)
後成的時間領域
細胞周期
生活史(生命サイクル)(生活史テンポ)
ただし、非性的な単細胞生物の細胞周期は生活史(または生命サイクル)そのものである。
生活テンポは、代謝的時間スケールの速度である。心筋の収縮速度、呼吸速度、g体重当たりの代謝速度(代謝の比活性)(g体重当たりの仕事率)のことで、いわば生命活動の瞬間を代表する速度である。
生活テンポは、同じ綱に属する種を比較すると、サイズの4分の1乗に比例して遅くなる:サイズが16倍になると、テンポは2分の1に遅くなる。言い換えると、サイズが16倍になると、生理的時間は2倍に延びる。こうしたサイズ依存性がどのようにして生まれるかは全くの謎といってよい。
一方、生活史テンポは、受精卵が発生し、生長、成熟、老化して、寿命死を迎えるまでの生活史的過程が起こる速度である。同じ綱に属する種を比較すると、サイズが大きい種ほど生活史テンポは遅くなる。乳離れ齢、性成熟齢、最長寿命齢が遅くなる。しかも、ごくごく大雑把には、サイズの4分の1乗に比例して遅くなる。このため、「標準的」な哺乳類では、約2億回転の呼吸周期(約8億回転の心拍周期)が、最長寿命の間に許された生命活動の総量となる。
だが、生活史に関する4分の1乗則は、生活テンポに関する4分の1乗則ほどには厳密でない。多くの目が、この標準的制約から大きくずれる。このずれを分析することによって、生活史テンポが単なるサイズの関数ではなく、適応的機能を持っていることが明らかになった。ここで、「標準的な」哺乳類とは、アロメトリ則によって近似できるものたちのことである。これに対し、「ずれ」は、アロメトリ則からのずれ、すなわち「標準的」哺乳類に比べたときのずれを表す。
「標準的」哺乳類といえるのはセイウチやアザラシなどの鰭脚亜目(海生食肉目)アルマジロ、アリクイ、ナマケモノなどの貧歯目(Edentata)、ジュゴンなど海牛目(Sirenia), 馬、サイなどの奇蹄目(Perissodactyla)を数えるに過ぎない。
死亡率の低い目は、「標準的」哺乳類のサイズが予測する生活史テンポよりも、遅いテンポを採用する。言い換えると、死亡率の低い目はサイズの割に生活史テンポが遅い:妊娠期間や授乳期間が長く、性成熟にも長い時間をかける。つまり、ネオテニー(発育遅滞)を起こしている。言い換えると、低死亡率の目は母親の育児負担が強化されており、少ない子供を大事に育てる戦略といえる。こうした目は、最長寿命もサイズの割に長い。この代表が、霊長目、翼手目、長鼻目である。
死亡率の高い目は、これとは逆の生活史戦略を採る。サイズの割に生活史テンポは速く、最長寿命も短い。母親は、たくさんのこどもを産むが、育児負担は小さい。このため、乳児はたくさん死ぬ。この代表がウサギ、齧歯類、ツパイ(Scandentia) である。
こうした傾向は、死亡率が低い種ほど老齢個体の進化的価値が高い、との老化の進化論を支持するものであった。
科目「生物物理学」では、生命とは目的化された自己増殖である、と結論した。この自己増殖過程は、遺伝的プログラムの実行として実現される。この結論に誤りはないが、その後、二つの点に不備を感じるようになった。
一つは、生物と生命との関係についてである。科目「生物物理学」95年度では、生物が生命活動を行うという側面だけをとりあげ、生命活動が生物を維持し、作り上げるというもう一つの側面を無視した形で話を進めてしまった。これは誤りなので、後で訂正する。
もう一つは、生活テンポ領域における生命活動と、生活史テンポ領域における生命活動との関係が、やや平板に捉えられてしまった傾向がある。生物学概論「性と老化と寿命と」のところで、この二つの領域をダイナミックに関係づける視点を少しだけ提供したに過ぎない。また、3〜4つの時間領域の重層構造を指摘したが、肝腎なことを落としてしまった。
生物における時間秩序において大切なことは、最低次の時間秩序としての代謝的活動(生物学的仕事の統合、蛋白質の作用ネットワーク)が、最高次の時間秩序としての生活史(または細胞周期)に統合されている、という点にある。この点が、生命を理解する上での基本となる。
科目「生物物理学」や「生物学概論」では、寿命を一つのテーマとしていたことと、より直感的であるという意味で、「生活史」という表現を用いた。だが同時に、生命サイクル(ライフサイクル)という表現の方が、目的化された自己増殖という生命規定にとっては本質的であることにも注意しておいた。
最も単純な生活史は、非性的な単細胞生物の細胞周期(セルサイクル)である。分裂によって誕生した細胞は、G1期、S期、G2期を経て、M期で染色体を分配した後、二つに分裂する。この場合、アクシデントや捕食によって死ぬことはあるが、寿命によって死ぬことはない。
性的な多細胞生物のからだは、体細胞からなる「からだ」と生殖細胞系列(卵原細胞から卵子、精原細胞から精子)の二群の細胞群を含む。
受精卵、胚、胎児、新生児、乳児、幼児、こども、青年、成人、老人、寿命死という不可逆的な時間系列は、明らかに体細胞を基準にしたときのものである。われわれにとって直感的なこの不可逆的な時間の流れを表現するためのものが、「生活史」という言葉である。
性的な多細胞生物の体は、不可逆的な過程を経て死ぬ。これに対し、生殖細胞系列は、減数分裂と受精、発生の過程を繰り返すので、死ぬことはない。もちろん、これは特定の一個の生殖細胞についていっているのではない。生命サイクルのなかで受け継がれていく生殖細胞系列という細胞集団のうち、あるものは生命サイクルを引き継ぎ、別のものは死に絶える。だが、生殖細胞系列という全体としては、不滅である。
一個の受精卵が二個の受精卵に生まれ変わるまでの時間が世代時間であった。新生児が成長・成熟し、成人となって、2人のこどもを誕生させるまで生残する確率が100%の場合には、この期間が世代時間となる。
ゾウリムシの話を思い出すこと。この場合には、体細胞と生殖細胞との区別はない。ふつうのゾウリムシの場合、接合によって誕生した細胞は性的に未熟である。約50回の細胞周期を繰り返すことによって、性的に成熟する。その後、異性と出逢えば接合して、新たなサイクルにはいる。出逢わなければ、オートガミーするか、老化して死ぬ。
どのようなパターンをとるにしろ、生命サイクルは次の生命サイクルを生むことによって、不滅であり続ける。
生命サイクルは、遺伝的プログラムに指令された遺伝的プログラムの実行である。その最終結果として、新たな生命サイクルが誕生する。言い換えると、新たな生命サイクルを生むべく、遺伝的にプログラムされた過程が生命サイクルである。したがって、すべての生命活動は、生命サイクルを実現するためのメカニズム、手段である。こうして、
と結論される。
科目「生物物理学」では、目的化された自己増殖として生命を捉えた。自己増殖という表現は、過程としての自己増殖すなわち生命サイクルと結果としての自己増殖すなわち細胞または受精卵の新生の二つの事柄を表している。これに対し、「生命サイクル」は過程に重点をおいた表現であり、結果としての生命サイクルの新生は潜在的にのみ表現される:生命サイクルの完結は新たな生命サイクルの出現を必然的に伴うから、生命サイクルという言葉には、生命サイクルの新生が含意されている。
代謝的時間領域において実現される生命の瞬間は、生命サイクルの特定の一位相としてのみ実現される。前の位相によってつくられ、次の位相を準備しつくり出す。生命サイクルの必然的な流れの一こまに組み込まれていないような瞬間は存在し得ないのである。言い換えると、最低次の時間秩序としての生命の瞬間は、最高次の時間秩序としての生命サイクルに統合されている。
生命が一つに統合された時空秩序であることは明らかである。単細胞生物であれば一つの細胞が生命であり、細胞下の部分・要素に生命はない。その統合としての細胞に生命があるのである。多細胞生物であれば個体としての、まとまった統合が生命である。こうした統合は重層的であるが、全体をまとめるのは最高次の秩序である。単細胞生物の細胞や、多細胞生物の個体を時間次元を含めて統合するものが生命サイクルである。
直感的にも常識的にも、「生物」という言葉は細胞や個体の「からだ」をイメージするために用いられている。これに対し、「生命」という言葉は「生物」が行う活動、過程を表現するのが一般的である。このため、生物が生命活動を行う、というようにも表現することになる。
だが、この区別はわれわれの認識限界に基づく便宜的なものであって、「生物」や「生命」に内在する区別ではないこと、したがって「生物」や「生命」の属性ではないことに注意したい。
生命の基本的特質の一つは、すべての自己秩序形成系と同じように、自己が自己をつくる、という点にある。「生物」は「生命」を行う物質系であると同時に、逆に「生命」が「生物」を維持し、形成している。言い換えると、「生物」は「生命」の主体であると同時に、「生命」も「生物」に対する主体として作用している。
しかも、それぞれの存在は単独では絶対的に不可能であるほどに結びついている。「生物」が存在するための唯一の形式が「生命」活動を行うことであるのに対し、「生命」もその活動が行われるためには「生物」が必要であり、これ以外の物質系では行われ得ない。 もちろん、「生命」が物質系を離れた「幽霊」になることを空想することは可能であるが、われわれが証明することは絶対にできない架空の世界の話である。
したがってまた、「生物」と「生命」は同時的な主体であることが結論される。このことは別の考察からも導かれる。「生物」が先に存在して、その結果として「生命」がつくり出されるものではないし、「生命」が「生物」の原因となっているものでもない。また、「生物」と「生命」が空間的にも同一であることは自明であろう。
時間的にも空間的に同一なものは一つの実体である他はない。したがって、「生物」と「生命」は実体としては同一である。この一つの実体の「もの」としての属性を抽出するとき、それを「生物」と呼び、「過程」としての属性を抽出して「生命」と使い分けてきたのに過ぎないのである。
このような「生物」や「生命」は実在するものではなく、われわれの頭のなかの抽象的産物である。実体としては、生物=生命(遺伝プログラムの実行としての生命サイクル)として存在するものと思われる。
四つの時間次元のすべてにおいて、このような内因的な生物リズムが観察されている。神経の自発放電のリズムや心筋の膜電位と収縮のリズム、細胞周期のリズム、受精卵から受精卵までの生命サイクルのリズム、魚類の回遊や鳥の渡りのリズムなど、生物界は生物リズムのパノラマといってよい。
多彩なバリエーションをみせる生物リズムであるが、その機能的意義からこれらを二つのものに区別しておく必要がある。
一つは、生命サイクルの自動的進行に不可欠な生物リズムである。細胞周期や生命サイクルそのもののリズムはもちろん、その固有な成分となっている自発放電リズム、心筋リズム、睡眠覚醒の90分リズム、、、などがこれに含まれる。
不良な環境に抑制されない限り自動的に進行するようにプログラムされているともいえる。生命サイクルの中核を形成するリズム、或いは生命サイクルに内在的で固有なリズムである、といっても良い。これらのリズムに欠陥があれば、生命サイクルの実現が阻害される、とても基本的なリズムでもある。細胞周期プログラムや生命サイクルプログラム(発生、成熟プログラム)に欠陥があれば、生命サイクルの実現が不可能なのは明らかだろう。また、不整脈(心筋リズムの乱れ)であれば生命サイクルの実現がとても困難になる。
したがって、これらの生物リズムは生命サイクルの骨格となるリズムである。
これに対し、一括して、概リズムと呼ばれる生物リズムは、生命サイクルを肉付けするリズムといえる。その周期に応じて、概日リズム、概潮汐リズム、概月リズムと概年リズムが区別される。これらの概リズムの基本的な機能は環境適応である。概リズムが生命サイクルの位相進行を制御することによって、生物は周期的な地球環境に適応する。
この位相制御のパターンは二つある。
生命サイクル的時間領域の過程に対する位相制御
一つは、all-or-nothingタイプの制御あるいはオンオフ制御である。生命サイクルの位相進行を、特定の時間や潮位、或いは季節に限定する。細胞分裂とか排卵とか出産といった、生命サイクル的(生活史的)時間領域に固有な過程、つまり生命サイクルにおける一回的な事象、不可逆的な発生学的過程は、このタイプの制御を受けるように思われる。
代謝的時間領域の過程に対する位相制御
これに対し、光合成の能力とか、動物における活動力など、代謝的な時間領域における生理活性・運動活性は、連続量として変化する「可逆的な」な過程である。このようなものは、より滑らかな制御を受け、正弦波的なリズムを描いて変化する。
生命サイクルの環境適応
代謝的時間領域における生理・運動活性(可逆過程)は、高くなるべき時(季節)に高まるようにプログラムされているはずである。また、生命サイクル的時間領域における不可逆的な一回的事象も、起こるべき時(季節)に起こり、起こらざるべき時(季節)には抑止されているはずである。自然淘汰は、このように予想する。これを、具体的に検討するのが、本科目の一つの課題となる。
概リズムのうち、概日リズムが最も普遍的なリズムである。また、他の概リズムの発現にも関与している可能性のある、最も基本的なリズムである。このため本科目では概日リズムに話を絞る。
生命サイクルは、代謝的時間領域から細胞周期的時間領域の過程を統合する最高次の生物リズムである。簡略化のために、生命サイクルと代謝的時間領域(生命の瞬間)の二つの関係だけに着目しよう。生命の瞬間は生命サイクルの一位相である。この位相の不可逆的な進行の全体が、生命サイクルである。生命の瞬間は、生命サイクルによって駆動されるとともに、生命サイクルを形成するよう、統合されている。
したがってまた次のようにもいえる。代謝的時間領域から生命サイクル的時間領域までの四つの時間次元において発現している、生命サイクル独自の骨格リズムは、生命サイクルリズムによって駆動されるとともに、生命サイクルリズムを維持し、形成するような形で統合されている。この統合の具体的なイメージは、現在ほとんど不可能なほど、研究は未熟である。
生命サイクル独自の骨格リズムの中核は、生命サイクルの位相進行プログラムである。非性的単細胞生物であれば、これは細胞周期時計であり、性的生物であれば、発生・成熟時計である。
概リズムは、このような生命サイクル独自の骨格リズムの位相進行を制御する。第一に、可逆的な生理・運動活性は概リズムにしたがうことによって、環境周期にあわせてリズミカルに変動する。この過程の可逆的な繰り返しを通じて生命サイクルの位相が不可逆的に進行していく。しかし、この位相進行のすべてではないにしても、多くの過程(細胞分裂、排卵、出産)は、特定の時間(季節)にのみ起こるようにプログラムされている。
以上、生命サイクルの位相進行プログラムと概リズムによるその制御が、生命サイクル実現の基本的枠組みとなる。
実際には、これに予測不可能な環境変化に対する適応が加味されて生命サイクルは進行する。光強度、光スペクトル組成、湿度、温度、、、など日周変動や季節変動する成分もあり、規則的で(生物にとって)予測可能な変化であるが、天候や地理学的異変などにより、不規則的にも変動する。規則的な環境変化に対する適応と、不規則的なノイズ的な変化に対する適応の重ね合わせが、具体的な生命サイクルである。以後、ノイズに対する応答についてはほとんど(一切?)言及しないが、生命の具体像を理解するためには基本となることなので、常に念頭に入れておいて欲しい。
これまでの話から明らかなように、生物リズム学は生物学の基本の一つである。特に、生物の本質は「生々流転」或いはダイナミズムにあり、また、この生々流転を統合するメカニズムが、生命サイクルと概リズムの相互作用にあることに着目すれば、生物リズム学を知ることなく、生物の「生々流転」の具体的イメージを把握することは不可能といってよい。概日リズムに関する知識は、生物学における常識となるべきである。
しかし、生物学関連学界における関心は、今でも十分なものとはいえないように思われる。18世紀の始めに、フランスの天文学者ド・メランによってインゲン葉の就眠運動に関する概日リズムが初めて報告された。以来、生物リズムの実在性そのものを巡っての論争などを通じて、次第に生物リズムの重要性が認知されるようになり、1960年に生物リズムに関する初めての国際会議がコールドスプリングハーバーで開催された。この年をもって、生物リズム学が学界的に認知されたといってもよいだろう。
その後、この分野における研究者の数も着実に増大してきたし、その射程も分子生物学から生態学、基礎から応用と、無関係な学問分野を指摘する方が難しいくらいに拡大してきた。これほどに学際的な分野も珍しい。しかし、生物リズム学を理解している学者の数は極めて少ない、というのが実感である。このことは、例えば高校生物の教科書をみても明らかである。そこでは、動物や植物など、概日リズムを示す生物を中心に記載されているのであるが、概日リズムに関する記載はほとんど皆無といってよい。何故、無視するのか?或いは、何故、知らないのか?
一つの理由は、高校の生物学教員や大学の生物学者の99%以上は、自分たち自身、生物リズム学の正規の教育を受けた経験がない点に求められる。もう一つの理由は、生物リズム学を知らなくても、専門研究はできるからである。専門分野は高度に専門化・細分化されているので、概日リズムと切り離して研究できる分野は膨大な数に上る。特に、現在における専門研究の大半は、生命現象の、ある特殊な時間断面におけるメカニズムを解明しようと努力している。このため、生物のリアルな具体的イメージを把握する努力は放棄されている、といって良い。言い換えると、大半の研究は還元論的性格をもつ。
これに対し、生物リズム学は、(個々の生物リズム学研究者がどのように意識しているかは別にして、学問の流れとして)生物の具体像を明らかにすることを一つの目的としている。生物は、一年における季節、一日における時間に応じて姿を変える。この変貌そのもの、或いはこの変貌を統合するメカニズムが、生物の具体像である。したがって、生物リズム学は、どうしても学際的で総合的な学問にならざるを得ない。
医学、薬学、健康科学、労働科学、スポーツ科学、心理学、教育学などは、人間に関する学問である。
こうした人間諸科学においても、時間や季節を考慮することの重要性が次第に認識されるようになってきている。
第一に、伝統的なホメオスタシス的見地にこだわる限り、粗っぽい医療しか期待できない。診断に用いられる生理的諸活性の「健常値」は、時間によっても季節によっても異なるのが真実である。時間と季節が特定され、被験者のリズムの位相が特定されるなら、「健常値」の予測能力は飛躍的に上昇する。また、薬剤耐性や薬効、免疫能力やストレス耐性も概日リズム的に変化するので、これらのリズムを考慮した治療も可能となる。こうした問題は、時間治療学、時間薬理学(毒性学)、時間診断学などで研究される。
第二に、概日リズムの衰退や乱れによる、不調や病気の存在が知られている。最も有名なのは、季節性鬱病とふつうの鬱病で、ともに概日リズムの位相が健常者とは異なる。また、全盲のひとの生理不調も、概日リズムの同調が不可能なことによる。より一般的なのは、先進諸国の人々の20〜30%を占める、夜勤症候群や交代制勤務症候群である。一般の人々も、時差ぼけを経験する機会が増えた。人体の二つのリズム群と環境日周期との間の位相関係の乱れが原因である。こうした概日リズム乱調による不調や病気を回復させる方法も、開発される必要がある。また、深夜から早朝にかけてはもっとも注意力の低下する時間帯である。原発や化学工場における大きな事故や車の事故は、こうした時間に頻発してきた。このような事故を避けるための労働管理は必須である。精神医学、健康科学、労働科学、スポーツ科学などがこうした問題に取り組む。
第三に、教育現場でも、概日リズムの知見は活用されうる。例えば、運動能力は、ふつう午後から夕方にかけて次第に高まってくる。したがって、体育の授業や体育会系のクラブ活動は夕方から夜にかけて行うのが理想的である。早朝練習には「効果」がないかもしれない。また、心理的能力も、その種類に応じて異なった概日パターンを示す。それぞれのパターンに対応した時間割が考えられるだろう。また、昼寝はひとの概日リズムの自然な姿であるから、昼休みは昼寝の時間を含めて延長するのが、教育効果としては最も高いはずである。
第四に、以上のいくつかの例の他にも、様々な形で現代人の概日リズムは攪乱されている。夜の煌々とした灯り、昼に太陽を浴びる機会の減少、、、。健常な概日リズムにしたがった生活こそが、生理的にも心理的にも、最も快適な生活であるはずだ。
第五に、農業的な利用も活発に行われている。電照菊の栽培は最も有名だ。最近、ヒツジの繁殖にも応用されている。だが、こうした利用は、生物リズム学の本来の趣旨からすれば、むしろ邪道と言えるかもしれない。いずれにせよ、「知識」は工夫次第で、いかようにも利用されうるわけだから、さまざまな利用が開発されても不思議ではない。生物リズム学的知識の深化と拡大によって、この応用の可能性もまた増大するのは当然のことである。自然保護などにも利用されうるものと思われるが、まだめざましい成果はないだろう。
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概日リズムについて:
概日リズムは、一日周期で変転する地球環境に適応するために生物に備わっているリズムです。30億年以上も前に誕生したと考えられているシアノバクテリアと呼ばれる細菌から私たち人間に至るまで、この概日リズムを備えることによって、地球環境にうまく歩調を合わせて生きることができるのです。
概日リズムの発振源は、心臓の拍動リズムのような他の生物リズムと同じように、生物体内(細胞内)にあるので、実験的に外囲の周期条件を取り除いても(恒常的環境条件の下においても)生物は、その生物に遺伝的に備わった周期でリズムを刻むことになります。この時の周期を自由継続周期といいますが、24時間丁度になることはありません。それで、このリズムを概日リズムというのです(概は約、概ねの意味)。ただし、約1日の周期のリズムという名称を与えられていますが、周期が大雑把であるという意味ではありません。
事実、概日リズムの周期は環境変動に対して極めて安定であることを特徴としています。
自然条件の下では、概日リズムは昼夜のサイクルに歩調を合わせることによって、今何をなすべきか、適切な生命活動を行っています。この歩調を合わせた状態を同調とかエントレインメントといいます。歩調を合わせるために生物が用いている昼夜のサイクルは普通24時間の明暗サイクルです。
二つの時空秩序の統合
生命サイクルのテンポが速くなっても、遅くなっても、概日リズムのテンポは同じです。このことから、概日リズムの流れが生命サイクルの流れから独立していることが明らかです。もちろん、例えば動物であれば、受精卵の誕生の時点で概日リズムが時を刻み始める訳ではないし、老化が進めば概日リズム機能も低下していきますから、概日リズムが完全に生命サイクルから独立しているわけではありません。それどころか、概日リズムの発現自体が生命サイクルのプログラムとして組み込まれているといって良いでしょう。しかし、ひとたび概日リズムが機能し始めると、生命サイクルの位相進行による制御からは独立するのです。
一方、生命サイクルは自発リズムですから、その位相進行のプログラムを自ら備えています。例えば、非性的な単細胞生物ですと、生命サイクルの周期(つまり細胞周期時間、セルサイクル長)は環境条件に依存して変化します。しかし、ある特定の生命サイクル事象(例えば細胞分裂とか排卵)が一日のどの時刻におきるか、というタイミングは概日リズムの制御を受けているのです。
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