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「生きていることとは四季色とりどりの移り変わりにこの肉体がしたがうこと」といったゲーテの真情を、 われわれは古代の知として思い起こさずにはいられないのである。こうしてみれば、 われわれの生命感情とは、つきつめていえば、それは大小宇宙の共振によるものであることがうかがわれる。 三木成夫、生命の形態学(1975)・・・人体解剖学総論・・・(生命の形態学序説 1992所収)より お断り:私のページ内で ”File
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人間も生命の一つですから、人間社会の問題も(論理的必然としては)生物学の範疇に入ります。 生命は、他の物質系とどのように区別されるのか。人間的生命の特殊性は何か。この二つの問題を考えることが基本です。
念のために付け加えておきますと、地球のリズムは単なる無機的自然のリズムではなく、問題にしている一つの生命(例えばあなたの生命)を除くすべての生命のリズムを含んだリズムです。この大きなリズムと一つ一つの個別の生命のリズムとの共振というものを問題にしたわけです。 生命のリズムを扱う学問は時間生物学chronobiologyと呼ぶのが最も一般的で、日本にも日本時間生物学会があります。が、私は、この名称に共振しません(この名称が嫌いです)。
同時に、私たちは、熱力学的な「時間の矢」(過去から未来への「時間」の流れ)を感じることができます。過去から未来へ流れる時間というのは、物質系のエントロピーが(外から仕事を注入しない限り)増大するという法則性を表現しています。言い換えると、熱力学の第二法則に随った物質系の運動の形式を「過去から未来への時間の流れ」といっているのです。もし仮に、この地球上でエントロピー増大法則が存在しないとすれば(覆水盆に戻る現象が貫徹されているとすれば)、過去とか未来の区別はありえないわけです。もちろん、この場合には、私たちが老化することはありえません。 この二つの運動形式の上に、約40億年前、生命は新しい運動の形式、つまり生命を付け加えたのでした。それは、最初から、リズムです。細胞周期 cell cycle という形式(分裂によって生まれた細胞が、成長し、再び分裂するという過程を繰り返すリズム)を離れて、生命はありえません。 私たち、性的生物(有性生殖を営む生物)の場合には、受精卵が発生・成長・成熟し、やがて再び二つの受精卵を生むというサイクルが、基本的なリズムとなります。 細胞周期や受精卵のサイクルという生命の二つの基本リズムは、ほどなく概日リズムを獲得しました。概日リズムのはたらきで、細胞周期や受精卵サイクルの各々の事象のタイミングを地球リズムに合わせることができます。(「ほどなく」といったのは、現存のシアノバクテリアにも概日リズムが認められるからです)。 生命にとっての時間とは、生命の運動の形式です。つまり、細胞周期や受精卵サイクルの二つの基本リズムと、概日リズムなどの環境適応リズムが絡み合った姿です。残念ながら(というか、研究者にとっては魅力的なことに)、生物学のこの最も本質的な事柄(基本的な運動形式)については、現代分子生物学の華やかさとは裏腹に、殆ど未開拓です。 念のために付け加えておきますが、時間という言葉は、言葉や概念としてはわれわれの脳の中に実在します。しかし、「時間」という言葉で表している事柄(自然における対応物)が何なのか、一般的合意はありません。最低限言えることは、物質やエネルギーを離れた「時間」は存在し得ない、という唯物論的前提です(前述の、覆水盆に戻る世界を想像して下さい)。 ちょっとどころか、だいぶ難しかったかもしれませんが、他のページはもっとずっとやさしいので、嫌わないで下さい。
生物学概論(一年生用の導入科目(昔で言う教養科目)、後期) 生物リズム学概論(二年生用の学部基礎科目、97年度まで)→生物情報学(畜産環境科学科二年生用の学科理論応用科目) 高校生物の詳細な知識を前提にしてはいません。内容は生物学の最先端を維持することに努めますが、それは広い生物学のほんの一部にしか及ばないことを予め断っておきます。もともと本ページの基本的な目的は、そのような個別知識を提供することではありません。 生命とは何かという問題を同じ科学的態度をもって考える場合でも、どのような生物学的知識を用いるかに応じて様々なバリエーションが生まれます。 例えば、大昔の人々も生命界全体の共通性を認識していたと思われますが、次の二点で現代の生物学者とは異なっていたものと思われます。
(2)生命の共通性という点では同じ認識を共有しているものと思われますが(幼少期の植物観や動物観を大昔の人々はそのまま大人として引きずったと考えれば、厳密には違うが大体の線で同じでしょう)、例えば、現代の生物のすべてが、たった一つの生命を共通祖先とした縁者なのだという共通性の認識は、現代の生物学的知識を前提にしなければ不可能なことです。 言い換えると、科学的知識は個々人の世界観(特に自然観や人間観)を変える働きを持っています。科学というと、人々は現代の科学技術(高度テクノロジー)を連想し、科学技術への応用に「科学」(基礎科学)の功罪を読み取ろうとするのですが、科学 は人々の世界観に直結するという意味で、もっと根の深い影響力をもっているものと思われます。科学技術(高度テクノロジー)は人々の行動パターンを変えることによって、人々のこころに甚大な影響を及ぼしますが、科学(基礎科学)は人々の思考パターンそのものを変えるのです。 いずれにせよ、 本ページは引用を明示する限りどのように引用されても結構です。本ページでの私自身の引用方針は次の通りです。
(2)学術論文では、細かい知識を用いて議論するので、その個々の細かい知識の出典や先取権が問題になります。本ページで、そこまで細かく議論するとき(先取権が問題になるようなとき)には、引用を明示します。 (3)また、ある論文なり著書なりによって、私自身が直接的に啓蒙された場合(あるいは批判したい場合)などは引用を明示しています。 (4)私の専門は生物リズム学です。しかも、その中のほんの極一部です。したがって、それ以外の領域については、文献渉猟が不十分です。本ページでは幅広い分野における私なりの考え方(知識のまとめ方)を提示していますが、偶然、過去にどなたかが考えたことと一致する場合があることは十分に予想されることです。そういう点にお気づきの方は、御一報ください。 というわけで、本ページでは、リンク制限の意思表示を明示していないサイトにだけリンクを限定しました。明示していないとはいえ、本当はリンクされて不愉快だと思っている方がいらっしゃるかもしれません。そのときは直ちにリンクをはずしますので、ご一報ください。
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