人間社会の未来
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あなた方は私に大地を耕せと云う。ナイフをとって母の胸を引き裂けと云うのか。
あなた方は私に草を刈って干し草をつくり、それを売って白人のように金持ちになれと云う。
しかし、母の髪を切り取るようなことができようか。
スモハラ(インディアン酋長)原子論者ボイルに反論して
(ヴァンダナ・シヴァ「生きる歓び」より)
人間社会の目的をどう描くかということは、個々人のおかれた政治的・階級的立場によって大きく異なってきますが、同時に、そうした社会的立場に関わりなく、人間として共通に描けるところもまたあることも事実です。このことは、誰もが盗みや殺人を正しいこととは判断しないし、平和を愛するという点においては共通している点からも明らかだと思われれます。
その共通部分を理解するために、人間本性とその由来について生物学的説明を試みます。
人間本性の基本は矛盾です。美醜の対立、正邪の対立、愛憎の対立、、。だからこそ、人間は悩みます。悩めば悩むほど人間らしくなってきます。それを超克した人間は仏ですが、真善美の完全性(偽と悪と醜の全くない絶対的真善美)には、リズムの躍動がありません。リズムがないということは人間的感動がないということです。こころの絶対的平静(安らぎ)は悩める人間が求めてやまない「悟り」の状態です。しかし、求める過程そのものに人間的生命のいのちがあるのであって、真の悟りの状態、永続的安らぎは感動のない(人間的面白味のない)状態のように推察されます。
人間は利己的であると同時に利他的です。この矛盾を抱え込んだ状態を知ることのできない人々もいます。そのような人々はふつう、人間を純粋に利己的であると信じています。したがって、他人からの愛を感じとって喜ぶことはできません。
→人間は利己的か
また、利己的遺伝子論に依拠することによって「人間は純粋に利己的である」と結論して悦に入っている人々もいますが、完璧な誤りです。つまり、そうした人々は、進化的メカニズムの一般則における同一性が、行動メカニズムの同一性を示すものであると錯覚しているのです。
→ドーキンス「利己的遺伝子論」の誤り
さて、人間の矛盾的本性は、人間がイルカやチンパンジーと同じように群れ動物として進化してきた、という事実に由来します。
→なわばりから群れへ
しかし、人間の悩みはイルカやチンパンジー以上に大きいことが想像されます(人間だけが自殺するし)。このことは、第一に人間が核家族を単位とした重層的な群れ(社会を複雑にする群れ)として進化してきたということ、第二に、思考そのものがより複雑であるという事実から想像(推論)されるのです。
人間は、母性愛を進化的基軸として、群れを守るという本性を身につけてきたと思われます。その反面、自己利益を優先させたいという本性も併せ持っていることも事実です。この矛盾的本性のバランスをとるのが、罪悪感や恥、良心といった心の働きです。つまり、人間は〜すべきである、という一般的道徳能力を備えて誕生します。これは、ちょうど新生児が何語でも話せるような一般的言語能力を備えて誕生するのと同じです。しかし、オオカミに育てられれば人間言語を習得することはできませんし、日本語環境で育てられればフランス人も日本語を母国語とします。三つ子の魂百までということわざは、生物学的には刷り込み現象imprinting として「再発見」され、裏付けられています。
道徳の基本が正義を守るという点にあることは誰もが認めてくれるでしょう。政治的・階級的立場の違いに応じて異なってくるのは、「どこに正義があるか」という点です。しかし、ここでも人間として守るべき普遍的な正義が存在します。それを人間的正義と名づけることにします。それは、人間が部族的本性(帰属意識)(狭義の群れ本能)をもつという点に由来します。つまり、人間は自分の帰属する群れメンバーの幸福を守ることを正義と判断するのです。これが、最も直接的で原始的な(人間の直観に起因する)正義、つまり人間的正義です。群れどうしの争いや戦争が絶えないのは、人間がこの人間的正義にしたがって行動するからです。
→欲望と規範の生物学 序論
これを防ぐことはとても難しいことは歴史の示す通りです。しかし、少なくとも、強者の群れが弱者の群れを痛めつけたり殲滅させたりすること(つまり軍事的・経済的侵略)、すなわち、明治以降の日本もそれに加担してきた、西洋技術文明による地球征服(いわゆる国際化)は、誰の目にも悪だと判断されるのではないでしょうか。
弱者の群れによる、防衛としての争いには正義があります。
対等な力の群れどうしの争いは、争わなければ同胞の人命・人権が侵されるのですから、どちらにも正義があるとしか言いようがないでしょう。もちろん、争いを回避する努力、争いを終結させる努力が最高の正義なのですが。争いが行われている最中では、家族や同胞のために戦わなければなりません。
人間的正義を土台にして、それを群れの錯綜する場面に拡大した正義があるはずであって、それをここでは社会的正義と呼ぶことにします。上に示した判断が、政治・階級的立場を超えて尊重されることがなければ、その人間的正義はとても身勝手な堕落したものになってしまうでしょう。地球が運命共同体となった現代においては、後続世代に健全な地球社会と健全な自然を引き継ぐことが、基本的な社会的正義となることは明らかでしょう。それは、弱者の群れの人々の人命や人権を侵すことなく遂行していかなくてはなりません。大小様々な群れどうしの対立があり、国家リーダーたちの腐敗が目に余る現状において、この社会正義を実現することは、叶えられぬ理想でしかないかもしれませんが、それに向けた努力を行うことが大人の責任であることに変わりはありません。
現代日本の忌まわしい状況は、この道徳能力の低下(または「変な」道徳基準)の蔓延に由来するものと思われます。「人権の擁護」は最低限の社会保障です。これが守られない状況は正義にもとると考えるのが「健全な」人間です。しかも、この状況が持続すれば社会はいずれ崩壊します。
→人間本性とその由来