人間社会の未来

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あなた方は私に大地を耕せと云う。ナイフをとって母の胸を引き裂けと云うのか。
あなた方は私に草を刈って干し草をつくり、それを売って白人のように金持ちになれと云う。
しかし、母の髪を切り取るようなことができようか。

スモハラ(インディアン酋長)原子論者ボイルに反論して
(ヴァンダナ・シヴァ「生きる歓び」より)

人間社会の目的をどう描くかということは、個々人のおかれた政治的・階級的立場によって大きく異なってきますが、同時に、そうした社会的立場に関わりなく、人間として共通に描けるところもまたあることも事実です。このことは、誰もが盗みや殺人を正しいこととは判断しないし、平和を愛するという点においては共通している点からも明らかだと思われれます。

その共通部分を理解するために、人間本性とその由来について生物学的説明を試みます。

道徳の基本が正義を守るという点にあることは誰もが認めてくれるでしょう。政治的・階級的立場の違いに応じて異なってくるのは、「どこに正義があるか」という点です。しかし、ここでも人間として守るべき普遍的な正義が存在します。それを人間的正義と名づけることにします。それは、人間が部族的本性(帰属意識)(狭義の群れ本能)をもつという点に由来します。つまり、人間は自分の帰属する群れメンバーの幸福を守ることを正義と判断するのです。これが、最も直接的で原始的な(人間の直観に起因する)正義、つまり人間的正義です。群れどうしの争いや戦争が絶えないのは、人間がこの人間的正義にしたがって行動するからです。

欲望と規範の生物学 序論

これを防ぐことはとても難しいことは歴史の示す通りです。しかし、少なくとも、強者の群れが弱者の群れを痛めつけたり殲滅させたりすること(つまり軍事的・経済的侵略)、すなわち、明治以降の日本もそれに加担してきた、西洋技術文明による地球征服(いわゆる国際化)は、誰の目にも悪だと判断されるのではないでしょうか。

人間的正義を土台にして、それを群れの錯綜する場面に拡大した正義があるはずであって、それをここでは社会的正義と呼ぶことにします。上に示した判断が、政治・階級的立場を超えて尊重されることがなければ、その人間的正義はとても身勝手な堕落したものになってしまうでしょう。地球が運命共同体となった現代においては、後続世代に健全な地球社会と健全な自然を引き継ぐことが、基本的な社会的正義となることは明らかでしょう。それは、弱者の群れの人々の人命や人権を侵すことなく遂行していかなくてはなりません。大小様々な群れどうしの対立があり、国家リーダーたちの腐敗が目に余る現状において、この社会正義を実現することは、叶えられぬ理想でしかないかもしれませんが、それに向けた努力を行うことが大人の責任であることに変わりはありません。

現代日本の忌まわしい状況は、この道徳能力の低下(または「変な」道徳基準)の蔓延に由来するものと思われます。「人権の擁護」は最低限の社会保障です。これが守られない状況は正義にもとると考えるのが「健全な」人間です。しかも、この状況が持続すれば社会はいずれ崩壊します。

人間本性とその由来