人間の尊厳とクローン人間

クローン人間作成は、人間がキリスト神に代わって人間を作る行為つまりキリスト神への冒涜である。このため先のデンバーサミットがこの禁止を声明したのは当然である。
だが無神論者にとって神への冒涜は全く意味をもたない。エコノミスト誌(3/1)はテクノロジーの進歩を歓迎する論陣を張り、E.O.ウィルソンやF.クリックなどヒューマニズム国際アカデミー会員30名もクローン人間作成が倫理的に問題ないとの立場を表明した(5/16)。
わが国は道徳的権威をもたず、こうした推進論に同調しやすい。事実、クローン人間作成にまつわる倫理的問題は未だに合理的な根拠をもって論ぜられていない。だが阻止論との合理的な対決を経ずに、推進論が独走するような現状はとても危険である。そこで本稿ではわが国の基本的な倫理的合意つまりヒューマニズム(個人の尊重)の見地から、クローン人間作成の内在悪を指摘する。

受精卵の超人為性と人間の尊厳
人間は遺伝的にプログラムされた本性として幼少の頃から誰でも自尊心を感ずる。人間の尊厳や絶対的自由を求める心は、この自尊心に由来した価値観(主観)であり、個人の生命がそれ自体の価値(存在自身に帰属する目的)を持ち、決して他者の目的つまり手段や道具にはならないという人間関係(客観的現実)を倫理的に要請する。神のみがこれを否定できることは、日本の侵略戦争の歴史で実証済みである。
減数分裂時の遺伝的組換え、男女の巡り合い、精子と卵子の巡り合い。三段階の各々の天文学的偶然が積み重なって、どの受精卵(個人の生命)もたまたま今を生きる好運に恵まれ、過去にも未来にも存在し得ぬ唯一無二性を備える。
その内実を予測したり製造することは絶対的に不可能であるため、受精卵は人類の過去と未来をふくむ全ての人類史の文化的営為を遥かに超えた、超人為的な創造なのである。このため受精卵は何ものからも自由な絶対的自由とそれ自体の価値と人間の尊厳を保証される。
 この超人為性を否定することによって誕生するから、クローン人間は人間の尊厳を保証する根拠を失うことになる。また己が代替可能で換金可能なモノとして誕生した絶対的屈辱を自覚せざるを得ないし、超人為性に由来する己の存在にまつわる絶対的神秘「私は誰?なぜいるの?」つまり人間の尊厳(かけがえのない命)の不思議を感ずることもできないために、己に固有な価値を自認することもできない。自尊心を保つことはとても無理である。

男女の熱愛とこども
こどもは男女の熱愛の結実である。男女の熱愛過程は二つの生命(精子と卵子)の共鳴的融合(受精)をもって完了するが、この融合が一つの生命に生まれ変わるという事実によって、その愛はこどもの中に具体化され同化されて「生きる」。
このため、こどもに対する実親の愛は父(母)性愛にとどまらず、夫婦愛の溶け込んだ融合的な感情に高められる。こどもはこの融合愛を実感することによって、己の価値を無自覚的に確認している。これが人間家族の生物学的絆の基本となる。この重要性を理解するためには夫婦の不和が幼い子どもの心をずたずたに引き裂く事実を想起すればよい。

クローン人間の成長
生い立ちにおけるモノへの転落を打ち消し、クローン人間の尊厳を回復させる力は実親の無傷の愛をおいて他にない。だが、クローン人間の「親」は実親(生物学的親)ではないから、融合愛は望むべくもない。おまけに「親」は彼(女)を買った(モノに貶めた)事実に条件づけられているから、彼(女)の人格を尊重する点で人後に落ちるのである。
こうして、クローン人間は自尊心を保ち健常な自我を形成するための生物学的契機を奪われることを運命付けられて誕生する。万が一この予想が外れ、彼(女)が健常な自我を形成することができたとしても、彼(女)が自己のルーツの絶対的屈辱を知って、前代未聞の最終的絶望に狂ってしまうことは必至である。

テクノロジーと日本的詩情
クローン人間作成に対する国民の素朴な嫌悪感や恐怖感は、子は天からの授かりものであり夫婦のかすがいであるとの伝統知や、超人為的な自然力の脅威を直感し人間知の愚かさを前提に培われてきた日本的詩情に裏付けられたものであろう。この伝統知や日本的詩情の合理性を本稿は近代的言葉で論理的に確証したに過ぎない。ただし、受精卵の超人為性が人間の尊厳を客観的に保障する根拠になっていることの発見は、今回の分析における最大の収穫である。
一方、テクノロジーは、人間が自然の全体像を知らないという真実も、テクノロジーも所詮自然力の枠組みの中にあるという真実も知らないか無視または軽視して、自然の一部に莫大なエネルギーを注入する。テクノロジーの予測し得ぬ超人為的な波及効果によって人間社会(地球ではない)が危機に瀕しているのが現代である。こうしたテクノロジーを推進するテクノ人間は国民の科学的無知を嘆くが、案外、嘆くべきは超人為的な自然力に対するテクノ人間の無知と傲慢ではあるまいか。

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