各人が持ち合わせる知識の総体(セット)は各人各様に異なっている。そうした知識セットにおける各々の知識を、論理的に組み替える作業が思考である。したがって各人各様に唯一独自の知的イメージを生む。それは、他の誰によってもイメージされることのない本人に固有なもの、したがって常に新しいイメージである。思考は常に創造的である。創造creationとは新しい「もの」や「こと」を作り出す過程のことであるから、人間はどのような知的凡人であろうと、思考する限りにおいて創造的なのである。(言うまでもないですが、感情も創造的です)
しかし、創造的であるからといって独創的であるとは限らないし、凡庸な創造の方が圧倒的に多いというのが現実である。ここで、敢えて、「創造」という言葉の日常的用法とは異なった用法を用いたのは、思考の特質を浮かび上がらせるためである。
しかし、個々人の知識セット(知識総体)は本人に固有であるから、その組み合わせの総体(思考の全体)は個性的である。
創造と独創
新しいものを生み出すことが創造であるのに対し、創造における独創性originalityは新奇性の高さに与えられる言葉である。それは、程度の問題であり相対的なものであるから、絶対的基準は存在し得ない。生物の創造(個体の誕生、種の形成)と思考における創造は、メカニズムは全く異なるが、共通の形式を持つ。
生物の歴史は遺伝的形質の変化の歴史である。種内進化における遺伝的変化は新しい種を生み出す程には劇的なものではないが、創造であることに変わりはない。繁殖成功度の高い個体の子孫が繁栄することを通じて、環境に対する適応度の種内平均レベルは種内進化を通じて高められていく。
生物史における創造の次レベルでの独創性は、属形成をもたらさぬ範囲での種形成であろう。種は、互いに交配可能で固有のニッチを占める個体群として定義されているから(マイヤー1982)、種形成のポイントは親集団から生殖的に隔離された集団が誕生することである。
属の形成(ヒト属)、科の形成(ヒト科)、目の形成(霊長目)、綱の形成(哺乳類)、門の形成(脊椎動物)、界の形成(動物)、上界の形成(真核生物)、、、と上位の生物分類単位の形成を伴う種形成ほど、独創性のレベルは高い。最高の独創は、非生命より生命が形成された約40億年前に行われた、と思われる。
かつて誕生した種の99%は絶滅したと考えられているが、動物界や生命界は依然として存続している。
独創的思考の条件
人間は、様々タイプの思考を行い、どれもが創造的である。ここに列挙した思考タイプと科学的思考が異なる点は、前者が人間的利害の絡む目的を実現するための思考であるの対し、科学的思考は、これを極力排除することを前提にして成立するところにある。客観的思考と、しばしば同義に用いられるのもこのためである。
人文系の学問が、相互に対立し、しばしば不毛の議論に終わるのも、それぞれが特定のイデオロギーなり政治的態度を学問的に代表するからである。その対立は、単なる視点の違いである。しかし、人間社会の総体が一つであるという事実は不変であるから、その対立の原因は、それぞれの「理論」が単なるスローガンの主張であるためか、「理論」が真実としては不十分であるためか、どちらかであろう。
科学的思考も、人間行為には違いないから、人間的バイアスを受けることに変わりはない。また、論理自体が間違っているような場合もある。だが、理論は実験によって検証することができる。生物史のように、再現不可能な一回きりの過去の事象についても、過去の一部は化石として残っているし、遠い過去の姿をとどめた「生きた化石」もいるし、現存の生物もまた過去とのつながりを示す刻印を表しているから、合理的に説明することが可能である:もちろん、全てを説明しきれているわけではない。対立理論も多々あるが、知見の集積とともにいずれ一つの説明に集約されていくことは間違いない。
しかし、科学は、人間行為であるから万能でないのはもちろんのことだ。科学の限界については、部分と全体(分析的認識の限界)で考察した。
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