生態系保護学概論

シアノバクテリアの力、ひとの力

A.はじめに
B.環境ストレスと概日リズム
C.シアノバクテリアの力、ひとの力

下記リンクの内、「生命を考える」サイト内のものは【 】で括ってあります。

A.はじめに

このページは、帯広畜産大学生態系保護学講座が新入生向けに開講している生態系保護学概論のうち、私が担当している部分(一講分、2時間)についての紹介です。

本科目は、講座教官の自己紹介を兼ねています。そこで、まず私の自己紹介からはじめ、それを表題の「シアノバクテリアの力、ひとの力」に結び付けていきたいと思います。その中から、一見すると生態系保護学とは全く無縁に思えるような私の研究分野のもつ、生態系保護学に対する秘めたる力を感じ取っていただければ幸いです。

  • なお、本ページでは時間の関係で講義で触れられなかった部分について多くを費やしています。

@私の研究分野

自己紹介@【略歴など
自己紹介A【研究目的と課題など

↑の自己紹介ページでおわかりのとおり、私の研究の基本的関心は、藻類を中心とした生物の環境適応の具体像を細胞生物学的に認識することにあります。

  • 最近の中心テーマは、概日リズムによる細胞周期制御のメカニズムとその適応的意義、です。

  • もちろん、生態系保護を直接的に指向した研究ではありません。

A生態系保護との関連

では、私の研究分野【生物リズム学】はどのように生態系保護と関係していく可能性があるのでしょうか?

  • どのような生物にも「しあわせ」と呼べるような状態があるでしょう。個々の生物が生物リズムを通じて環境適応を果たしています。そのリズミカルな姿を保持できていることは「しあわせ」【欲望と規範の生物学 --- 序論 幸福について考える】の基本条件の一つに違いありません。

  • このことは、人間の場合に、リズムライフを崩すことが心身の不調・病の大きな原因の一つになっていることを想起すれば容易に想像がつくことです。この趣旨をより一般的に拡張すると次のようにいえるでしょう。

    • 個々の生物の環境適応の具体像を理解することは、個々の生物の「しあわせ」を確保するための基本条件の一つである。そして、それは生態系保護の一つの基本的な視点であるべきである、と私は考えます。

    • もちろん、「個々の生物」には、環境破壊の立役者であるわれわれ近現代人も含まれています。

    • この視点が今日流行の生態系保護学の主流には含まれていないことは残念なことです。

  • また、「とってつけた」ような印象をもたれるかもしれない生態系保護的な「効用」も考えることができます。

    • 生物リズム学 2000年度序論】でも説明ましたが、一つは生物リズム学の発展はアンチ還元論的文化の普及につながる、という点です。もう一つは、生物リズム学という無用の学問を守り育てる精神風土の醸成そのものの持つ効用です。

  • もちろん、生物リズム学は基礎生物学であるために「今のところ」無用ですが、基礎科学の常として、いずれ思わぬ効用が生まれる時代が必ずやってきます。

B.環境ストレスと概日リズム

私たちの現在の生態系は太陽光の恵みの中で成り立っています。それは、現在の生態系が、シアノバクテリアとそれに由来する藻類や植物による光合成をエネルギー源としているからです(⇒【生物のエネルギー変換】)。

また、この光合成活動の副産物として生じる酸素は、私たちに馴染み深い好気性生物の呼吸活動になくてはならない物質です。

しかし、光も酸素も、すべての生物にとって実は毒性の極めて強い代物なのです。詳しくは、ページ「老化のメカニズムを巡って」のなかの【活性酸素障害を巡る諸問題】や、ページ「概日リズムと環境適応」のなかの【光酸化と活性酸素障害】で説明してあります。

概日リズムは、こうした光ストレスや酸素ストレスに打ち克つためになくてはならないメカニズムになっています(⇒【概日リズムの歴史的起源】)。

いずれにせよ、概日リズムは、個々の生物が「よりよく」生きていくためにとても大切な働きです。冒頭にも述べましたが、リズムライフの保護は個々の生物が健康に暮らしていくための大事な基本になっているのです。近現代の自然破壊は私たち人間を含む多くの生物たちのリズムライフを脅かしているのではないでしょうか? C.シアノバクテリアの力、ひとの力

さて、ここでは「概日リズムとの関連性」という視点を落として、環境に及ぼす生物たちの歴史的な効果について概観します。

@生命史におけるシアノバクテリアの力

@「光の」生態系における一次生産者(「光の」生態系の歴史的誕生)。

A酸素発生の歴史的効果

    (i) 絶対的嫌気性菌の分布制限

    (ii) 酸素耐性能の淘汰価値

    (iii)酸素呼吸能の淘汰価値

    (iv) カンブリア紀大爆発(酸素濃度増大による生物の大型化;;天変地異)

    (v) 生命界の上陸(シルル紀後半から; オゾン層形成;陸上生態系の誕生)

B→藻類→植物 (細胞内共生)

C一般化すると、、、生命活動による物理的環境の改変=種多様化の歴史の生態学的条件(地球が生命活動しやすい環境に近づく;生息圏の拡大)=可能ニッチの拡大。現生態系から見た視点(「光と酸素の」生態系)。シアノバクテリアが勢力を持たなければ別の生態系として拡大してたはず。生命の増殖力。 20億年 真核生物、10億年 性、多細胞化

A生命史概観


過去2年のレビュー
Science, Nature, PNAS, Cell, Curr Biol, & Curr Opin series.より。

種存続期間の長短

    専門家と一般家

生態的空白と適応放散

    大量絶滅の後の適応放散によって、種多様性は増す。

はじめに

  • 生命の歴史とともに種が多様化してきたのは、種形成速度(頻度)が平均として種絶滅速度を上回っていたことを表しています。種多様化は、生命界による地球環境利用の拡大でもあります(例えば、生命界が陸上に進出したのは約4億年前のことです)。生命界にとって未利用の地球環境資源が利用可能になる為には、そのための生命機能が必要ですから、新たな遺伝子の創出が不可欠です。これを生態学的に眺めれば、新たなニッチの開発ということになります。或いは、生命は生態的空白がある限りそこに分布できる、と言ってもよいでしょう。

  • 種は独自のニッチを占有するわけですから、種が異なればニッチも異なります。新たな種が、別の種のニッチを奪う形でニッチ開拓する場合でも、(滅ぼされたか追い出された)別の種と全く同一のニッチを占有する確率は事実上ゼロでしょう。したがって、

  • 種多様化の歴史はニッチ多様化の歴史、と規定してよいものと思われます。

    複雑度増大の諸段階

    @複製する分子群が区画化されて複製分子集団としてまとまること(細胞内共生)

    A無関係な複製子群が連結して染色体となること

    BRNAの二面的機能が、遺伝子としてのDNAと触媒としての蛋白質という形で置き換わったこと

    C原核生物 ⇒ 真核生物(プロチスト)

    D性の出現(減数分裂、組換え)

    E動物、植物、菌の出現(発生プログラム)

    F社会関係の出現(なわばりと群れ)

    G巨大な脳の出現(人間は技術に依存する唯一の哺乳類である):人間社会の誕生

    生命史における種多様化の必然性

    @ 生命は生命サイクルである。

    A 遺伝子突然変異の不可避性(熱力学第二法則)

    B 遺伝子組換え機構をもつ

    多様化の方向性は偶然的

    創造とは何か

    思考は知識の論理的組換え過程である

    どのような思考も創造的である

    @構成要素間の新しい組み合わせ

    50音――→単語――→命題――→思想
    塩基――→ドメイン――→遺伝子――→ゲノム

      性生殖:減数分裂(遺伝的組換え)と受精による融合

      細胞内共生

      遺伝子の水平伝達

    A新構成要素の創出 = 旧構成要素の変更

      突然変異(塩基置換、重複、欠失、転移、転座)

      遺伝子重複の重要性

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    真核生物の誕生と進化

    @生命五界説から生命三ドメイン説へ

    遺伝子重複による多様化・複雑化とパラローグ

    @グロビン遺伝子とヘモグロビン

    A遺伝子重複の次元(モチーフ、モジュール、遺伝子、染色体)

    動物門(ボディプラン)の誕生と発生プログラム

    ヘテロクロニーと霊長類社会

    Bひとの力

    @環境破壊と世界観

    さて、どのような生物もその生命活動を通じて環境を変える力をもっていることは、シアノバクテリアの力、の項で説明しました。その環境改変によって絶滅させられた生物も数え切れないほどたくさんあるでしょう。しかし、その生命活動に対して「悪」という評価を行うことは全くもって不可能なことです。

    • それは、その生命活動が「自由意志による選択(判断)」に基づいて行われるわけではないためです。

    これに対し、人類による環境破壊行為は、「破壊」という言葉が示すように「善悪」の価値判断にかけらる活動です。ここに、その他の生物の環境改変活動と人類のそれとが根本的に異なる点の一つがあります。

      あなた方は私に大地を耕せと云う。ナイフをとって母の胸を引き裂けと云うのか。あなた方は私に草を刈って干し草をつくり、それを売って白人のように金持ちになれと云う。しかし、母の髪を切り取るようなことができようか
        スモハラ(インディアン酋長)原子論者ボイルに反論して(ヴァンダナ・シヴァ「生きる歓び」より)

      この言葉は環境破壊に直接言及しているわけではありませんが、西側諸国を支える農業活動でさえ「悪」とする世界観が存在することを実によく表しています。

      より一般的な結論を引き出すとすれば、人類の環境改変活動に対する善悪の評価は、個々人の価値観や世界観に強く左右される、ということです。そして、この世界観自体が多様であり、また対立する場合も珍しくないわけですから、環境問題の一つの側面は、こうした世界観どうしの対立をどのように妥協させるか、ということになります。

        教育・啓蒙活動を通じて特定の世界観を普及させる活動は「立派な」政治的行為になるでしょう。これよりはずっとおとなしいですが、上述のような「基礎科学を守る」という活動や、生物リズム学の普及に伴うアンチ還元論的世界観の醸成なども、ある種の政治的行為には違いありません。

    A私の世界観と自然保護の理念

    同じ行為でもそれが環境破壊であるのかないかは、上述のように価値観や世界観によって決まります。つまり、環境問題を語るうえでは「中立」的な立場はありえないのです。

    • もちろん、現状をどのように認識するか、或いは将来をどのように予測するか、という問題は価値中立的に(科学的に)行われるべきです。

      • ですが、そうした科学的認識を行うべき場合においても、当該個人の価値観・世界観が思わず知らずのうちに混入し、その価値観や世界観のバイアスがかかった認識になってしまうことは往々にしてありがちなことであることに十分注意することが肝腎であると思われます。

      • 環境問題にこと寄せて述べたことではありますが、この傾向は社会・政治問題全般に通じることはいうまでもありません。

    • 「生物多様性の保護」は、現在の環境問題において一つの重要な指針・目標となっておりますが、もちろん、これも「一つ」の価値観・世界観の表明に過ぎません:科学的命題・真実ではないことはもちろんです。ですから、これを指針にする場合には、どういう価値観・理念のもとでこうした目標を掲げるのかについて、十分に理解しておく必要があります。

      • 明確にそれを述べることができる活動家が大半であることを期待したいと思います。
    こうした前提のうえで私の「自然保護の理念」を述べさせてもらうと、それは、健全な社会(自然環境を含む)を時代に伝える、という点にあります。言い換えると、後代世代の幸福こそ現世代の幸福である「べき」という価値観です。

    • 例えば、あなたが最も幸福になれるときというのは、あなたの愛情によって愛するひとが幸福を感じるときだ、と私は思います。

      • もちろん、このことを自覚できるかどうかは全く別のことがらです。こうした幸運に恵まれない人々もいるでしょうし、煩悩が強ければ、少なくとも自覚的には別のことがらに幸福を感ずるかもしれません。詳しくは、【欲望と規範の生物学】のページに私の見解を説明しました。

    • この価値観に基づいて環境問題に対する私の基本的立場を表明したのが、【こどもを守る】や【自然保護の理念】のページです。

      • しかしながら、愛情に原理をおいた上述の理念が一般的に普及することは不可能といってよいでしょう。それは、近現代の社会が利己主義を原理として営まれているからです。ですから、環境問題に関する私の「現実的」な行動目標は「利己主義を少しでも低減するように」ということになります。

      • より具体的には【現代における悪の相互増幅回路(図@)】、【現代における悪の相互増幅回路(図A)】を断ち切るために努力したい、ということです。

    B環境破壊と技術

    人間は技術に絶対的に依存する唯一の哺乳類である、とは人類学者バーソロミューの約半世紀前の言葉です。

    • ここで技術と技能という言葉を使い分けます。技術は体の外にあるモノであるのに対し、技能は体のなかの能力を表します【技術と技能】。

    人類が危機的な環境問題に直面しているのは、明らかに、人類の環境改変が技術的行為に基づいているからです。

    • 人類が技術に依存せざるを得ないとしたら、自然保護を実現するためには、人類の技術体系を自然保護に即した方向に作り変えていくことが最も現実的な方策である、と考えられます。

    • それには、作る側の姿勢も問題になるでしょうし、もちろん、使う側の姿勢もとても大切です。作る側は儲けなければなりませんから、作るうえにおいてはそこに一つのバイアスがかかってきます。ですから、使う側が「厳しい選択」を行うことを通じて、「どのようなものを作るのか」についての方向性を左右する、という形が望まれることがらだと考えられます。

    • しかし、マスメディアを通じて、作る側、儲ける側の「意図」にはまって「買う」「使う」、というのがこれまでの主要な流れでした。この流れから、使う側の主体性を回復することはとても困難な課題ですね。

    • しかしまた、一つ一つの小さな積み重ねが大きな世論のうねりに昇華することは、往々にして現実に起きることがらです。

    技術活動が「等身大」である時代はとっくの昔に終わっています。これからますます、個々人の技術活動のもつ、歴史・社会的波及効果は絶大になり、予測不可能になっていきます。

    • 個々人は利便性・快適性を求めて技術活動を行うわけですが、その個人的活動は実際のところは単なる個人活動ではない、という点に注意しておくことが大切であると思います。国際社会の生産・流通活動に組み込まれているのはもちろんのこと、それを通じて自然環境や社会環境を改変するからです。ですから、歴史的にも波及効果を強くもつと言わざるを得ません。

    • 言い換えると、自覚と責任をもって「使う」姿勢が求められている、ということです。もちろん、膨大な技術体系ですから、これは至難の業です。新しい「技術学」が開拓され、個々の技術の環境に及ぼす影響や歴史・社会的波及効果の基本的枠組みだけでも予測・評価できるようになることを期待したいと思います。

    以上、結論らしきものは一つも出していませんが、【環境自由大学 青空メーリングリスト】などを通じて、いろいろ勉強していきたいと考えています。


    (since 04/23/2001)
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