生物学概論97年度試験

問題 1 マイヤーによる種の定義を述べ(ニッチ、交配、個体群)、種形成のメカニズムについて説明しなさい(生殖隔離、地理的隔離、交配信号(例えば求愛歌))。

 

 

 

 

 

問題 2 繁殖成功度について説明するとともに(個体、遺伝的形質、局地的環境、自然淘汰)、人間社会が自然淘汰を否定した活動を行っているという広範な誤解を解きなさい。

 

 

 

 

 

 

問題 3 創造とは何か、説明しなさい(遺伝子、思考、組換え、変異、無から有は生じない、生物の複雑化の歴史)。

 

 

 

 

 

 

 

問題 4 (1)または(2)について答えなさい。(1)シアノバクテリアが生物史に与えてきた効果(酸素発生型光合成、酸素耐性、酸素呼吸、細胞内共生、藻類、ユーグレナ、植物、生物界の陸上進出)(2)微小管が、真核生物の誕生と進化に果たしてきた機能(生食連鎖の誕生まで含めること)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

問題 5 哺乳類における死亡率と生命サイクルのテンポとの関係について説明しなさい(サイズ、サイズ効果の除去、母親の育児負担、性成熟、限界寿命、霊長類、ウサギ)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

問題 6 老化(するという遺伝形質)は自然淘汰によっては除去できない。何故か。

 

 

 

 

問題 7 愛は、守る、助ける、協力する、育てるという(利他的)行動の感情的源泉である。(愛する自然と)愛する人間(や己の群れ)を攻撃する他者(や外の群れ)に対して、人間は本能的に怒る(攻撃する=守る)。この特性を表すために使われてきた言葉の一つが、正義である。したがって、道徳の基本(必要条件)は愛にある。

別添の文章を読んで、テーマを一つ設定し、論じなさい。

テーマ:

 

 

 


別添の文章
 
自由を求める衝動のために、私たちは(内的)道徳律以外のものに服従することを嫌う。
ローレンツ (攻撃 1963)

この自由を抑制するものに対する(正当な)怒りを発散できなければ、人間はストレス状態に陥る。この状態では、怒りを誘発する刺激の閾値が低下し、ちょっとしたことで「ムカツキ」、「キレル」。したがって、これを解決するには、自由を抑制する外的強制力(偏差値・管理教育など)の削減・緩和が必要条件である。また、怒りを発散させる場と機会(例えばスポーツの奨励、子どもの遊びの回復など)もまた必要となる(その歪んだ形態がいじめ衝動であろう)。最後に、ストレス状態に打ち勝つ強さが必要であるが、これは遺伝的資質(パーソナリティ)と家庭教育による部分が大きい。カネとモノを至上の目的とした国家政策とそれを有り難く(迎合的に、無批判的に)享受してきた国民の生活形態が基本的な原因であるから、これを打開しない限り、明るい未来を築くことはできない、といえる。

問題7では、現代社会の現状または未来について、人間の本性と関連させて論じなさい。テーマは壮大でも小さなことでも良い。なお、テーマを、(人間における)愛の進化的起源(自己防衛本能、群れ、母性愛、育児、子守り本能、発生遅滞(育児期間=学習期間の延長)、狩猟、なわばり防衛(個体、家族(夫婦)、群れ)にしても良い。

愛に対する飢え
人間は、愛されることを通じてしか、人間を愛する心を育てることはできない:例えば、女の子が男から暴行を受けたとすれば、男は憎むものとしてインプットされる(幼児であればあるほど、憎むべき対象としての男の一般性は大きくなる)。これは自然との関係でも同じことだ。また、モノの氾濫は、人間の直接的関係を中断するはたらきがあるから、全般的には愛情形成に阻害的に働く。愛の欠乏は、ストレス状態を強化し、情緒を不安定にする。

家庭、地域、学校のすべてにおいて、愛とは対立する要因が増加してきたのが戦後日本の特徴である。

モラルの低下
モノの氾濫と呼応して、地域から子どもの遊ぶ場と人間関係が失われてきた。こどもどうしが遊びあい、子守りをし、子守りされる、ということを通じて、こどもは愛することを学び、人間関係のとりかた(モラル)を学ぶ。そういう姿が、かつてはあった。道路を含めた地域の自然環境は、そういう遊びの場として機能していた。マイカーの氾濫、道路建設、ゴルフ場造成、、、など、子どもを育てるという社会の基本理念にてらすとすべてマイナス因子である。

遊びが、極めて小人数の(または一人だけの)なかでのモノを中心としたコミュニケーションに偏っている現実は、正義を守ることを(からだで)学ぶ機会が極端に減ってしまったことをも意味しているのである。

しかも、家庭内でも偏差値という一元的基準でこどもを縛るということは、自由の抑圧であると同時に、利己性の育成でしかない。いじめられている友人を見過ごしたり、或いは、いじめられることが恐くてそのいじめに荷担したり、ということは、正義感の弱さ(または欠除)または一般的勇気の弱さ、つまり利己性の偏重のあらわれである。

こども育成環境の悪化の要因
戦後に限定して言うと、経済至上主義的な国家政策とそれを支えた教育政策に原因があるだろう。それは、国家と国民を挙げて、カネとモノを第一に求めてきた歴史である。国内に公害紛争が起きれば、国外に公害を垂れ流し、国内農業を破壊してアメリカの食糧戦略に協力し(海外の飢えを創出し)、熱帯雨林を破壊して現地の先住民の生活権利を奪いながらの、経済成長である。諸外国からエコノミックアニマルと呼ばれても、何を貧乏人がほざいて、と恥じない。

この利己的な国民生活が、社会生活における最低限の要件である「未来世代を育てる」「健全な子どもを育てる」環境そのものを破壊してしまった、といえる。正義(人間を愛すること)と勇気(正義を守る力)を育てることが、とても難しくなってしまった。要するに、正義と勇気のない生活(利己性への埋没)からは、正義と勇気のない子どもが育つという、当たり前の結論がうまれる。それが、国家的規模で行われてきたことに、現代の深い病弊の原因がある。いずれにせよ、「健全な子どもを育てる」ことができない限り、社会が自滅することは明らかなことだ。

 

群れの重層化に伴う、教養の必要性
 早い話、人間が部族単位の小さな群れで生活している限り、教養は全く必要ない。しかし、群れどうしの関係が複雑化するにつれ、教養の必要性がどんどん増してくる。正義がどこにあり、どのようにしてそれを守るのか、という点を探ることが教養の基本である。行動指針は(社会的)正義にしかないからである。

西洋技術文明による地球征服によって、世界は国際化(西洋文明化)された。約60億人とその子孫が一つの運命共同体に組み込まれてしまったのである。国内における何気ない生活も、そのテクノロジー依存性と経済的波及効果のために、とてつもなく責任の重いものになってしまった。それは、個人の人知を超えるほどに重いから、多分、この(個人の)責任のすべてを当の個人が負うことさえ不可能と思われるほどに、複雑で、大きい。

いずれにせよ、どのように(歴史社会的)責任を取りながら生活していくか、ということが、思春期前後以降の人間にとっては必要になった。これが、現代日本が本来行うべき中学校教育の基本課題(世界的正義(社会的正義)について学ぶ(考察する)こと)である。だが、現実は、人間的正義を守り育てること(思春期前)さえおぼつかない状況にまで悪化してしまった、といえるのではあるまいか。



 
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