粗飼料班 派遣した学生隊員
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| 山元 侑隊員 畜産科学科4年 |
本慶忠士隊員 畜産科学科3年 |
粗飼料班 本慶忠士
JAL 1145便で現地時間12:40にフィリピン、マニラ空港に到着。初めて踏むフィリピンの地。首都マニラは、高層ビルがフィリピンの強い日差しを反射しながら立ち並ぶ。熱帯の自然の残るフィリピンのイメージとはまったく違ったものが目に入る。道路は、自動車とジプニーと呼ばれるジープを改造した車そしてトラックで溢れている。交通マナーは悪く、あちこちでクラクションの音がする。 排気ガスですすけた服を着た現地人が車と車のわずかな隙を行き来している。都心から少し外れると、道路わきに民家や店が並ぶ。どれもトタンや石造りという質素なつくりである。日本との街の景観の違いが、外国に来たという現実をいっそう強くした。 ビル40階にあるJICA事務所からマニラを一望した。メトロマニラといわれるように、道路、建物が銀色に光っているが、青空とそれとの間は、排気ガスのスモッグで覆われていた。それはこの国が急速に成長し、賑やかになってきていることを感じさせた。

午前中にボランティア調整局を訪問した。昼食後、国家酪農局(NDA)を訪問した。その後、フィリピン大学ロスバニョス校を訪れた。今日は、ここの寮に泊まることになっている。畜大より敷地が広く、また、並木もシラカバではなくヤシである。 構内にもジプニーが走り、バスの役目を果たしている。門を出れば商店街が並び、ファーストフード店や文房具屋、また、バスケット専門店などがある。 この日の夜は、この商店街のある屋台で晩御飯を食べることになった。商店街の通りは、夜9時になっても人の波が止まることがない。
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←ボランティア調整局にて |
ホームステイ開始。受け入れてくれる家族の名前はMejino家。4人の男ばかりの兄弟と、おばあちゃん、両親のソニアさんとアモンさん、そしてコリンさん。 フィリピンの人達は、初対面の人にも優しく、笑顔が絶えない。マシンガントークを受ける。 言葉が理解出来るとか、出来ないとかはおかまいなしにしゃべってくる。 “わからんっつー”の。 晩ごはんは、焼き魚、米、スープ、マッシュルームと米製の麺 。どれも初めてのものばかりでおいしい。 お米は、インディカとジャポニカの間ぐらいの柔らかさ。 おそらく成り立っていないであろう会話が続き、寝室へと案内された。そして僕と山元さんは、目を疑う。部屋は5〜6畳ほどで、シングルベッドが一つ。 明らかに2人寝られる広さはない。 さらに、僕たちは、次に耳を疑う。・・・「このベッドに2人で寝るのよ」・・・シングルベッドに男が2人・・・こうして2週間のホームステイが始まった。
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←ホームステイ先の我ら2人の部屋 |
仕事のない日だったので家を見学して回った。庭には、母豚が一匹と子豚が10匹ほどいる。また、ニワトリが何羽か駆け回っている。 それを捕まえるハンター犬が檻に一匹と飼い犬が二匹。ハンター犬は、ハンターに似つかわしくないかわいい顔つきで、手を差し出したらお手をする。しかし、いざとなると僕たちのご飯になるチキンを確実に捕まえる。 この家には5頭の牛が牛乳を生産している。いろいろな動物がこの一軒の中で見ることができる。搾乳と採草を手伝った。 昨年まで協力隊としてここで活躍していた人が造成した草地らしく、きれいに整備されていた。ヤシの木に囲まれ、外からは見えず、こんなところがあったのかと驚いた。 近所の15歳になる双子の兄弟が学校に行かず、この農家を手伝っている。 二人とも小柄で愛嬌があり、すぐに友だちになった。兄弟の一人、パウロくんがヤシの実を木から落としてくれた。作業が終わり、それを飲んでみた。 一人一つ、一気に飲み干せと言われたが、量が多い。すぐにお腹がいっぱいになった。 夕食後には、日本から持ってきたお土産の折り紙をあげた。4人の兄弟と双子の兄弟は、大いに興味を持ったらしく、熱心に作っていた。
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←整備された採草地 |
メンバーのみんなでで海に行った。 ビーチは、飛行機から見たときのイメージより汚れている。 ゴミも落ちている。 日差しがものすごく強い。 全身、特に、背中が真っ赤に焼けた。 もうこれは火傷だ。フィリピンの海には、いろんな人がいた。 網を引いて魚を獲っている人、アクセサリーを売っている人、日本人を見て駆け寄り、「ここは俺の海だ」と騙してお金をもらおうとする人・・・。 気をつけなければならない。
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←この後、背中がヒリヒリ |
もうすっかり暗くなった海の帰り道、バス停の位置をあまり覚えておらず、確か教会の前だったと言いながらバスを降りた。しかし、辺りを見回してもその景色に覚えがないのだ。 そして山元さんがこう言った。「あの教会、違わないか?」・・・・「違いますね・・・」と呆然と立ち尽くしながら僕は答えた。一体、ここはどこなのか。把握しなければいけなかった。 付近では、何かのパレードが行われ、屋台が出ていた。英語は通じるのか、通じても帰ることはできるのか、いろいろなことが頭をよぎる。とりあえず人に聞くしかなかった。 気のよさそうなおじさんに聞いてみる。おじさんは、甲高い声で、誰かを呼んだようだった。 すると瞬く間に僕たち二人を大衆が囲んだ。 その人たちにホームステイの住所を見せると、何とか通じたらしく、一人の青年が「送っていってやる」と言った。 家に着くまでにかなりの時間が経った。雨も降っていたし、雷も鳴っていた。まったく知らない異国での迷子は、さすがに心細い。家に着くと家族全員が心配して待ってくれていた。やっと安心して、安堵すると共にみんなで大笑いとなった。
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←ステイ先のイヌも迎えてくれた |
5軒の農家を調査した。乳量、頭数、1日あたりの給餌量など。 農家の人たち一人ひとりの顔を見ながらの調査で、いろんな話を聞けた。 粗飼料として使われる草を採取し、タンパク質量、乾物量、および粗繊維量を分析した。カウンターパートのアンディさんは、とてもまじめで、頑張り屋で、優しくて、でも早口だった。
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←採草地より草を運ぶのも我々の一つの仕事 |
中間報告をした。僕たちの班は、最後であったため、緊張がとまらなかった。 現地のシニア隊員の人が目を光らせて見ていたことも緊張を増加させた。 無事終了した後には、おいしいご飯が出た。僕たちもお返しといった感じで日本の料理を作った。親子丼、緑茶、抹茶ミルク、煎餅など。 抹茶ミルクは、不評だった。 フィリピンの料理は色合いがよく、自然がいっぱい。皿はバナナの葉を敷いたかごのようなものを使用した。ジンも飲んで楽しい会だった。
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←中間報告会後の食事会 |
ついにフィリピンでの実習も終わり、最終報告会に望んだ。着慣れないスーツが気を引き締めた。 僕が発表しているときは、どういう訳か、みんなぽかんとした顔をしていた。最後までうまく英語が伝わらなかったようだ。 報告会の間、いろいろなことを思い出していた。つまり、フィリピンの生活も終わりが近づいてきたのだ。
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←最終報告会 やや緊張している |
バタンガス州でのお別れパーティーは、カウンターパート、ホストファミリーたちとのお別れだった。フィリピンの人は、カラオケが好きだ。僕は趣味のダンスを披露するといっそう盛り上がった。そういえば道端でダンスをしたときも子どもたちが集まってきた。 また、フィリピンの人たちは、最後まで笑顔だった。 パーティーが終わるとコリンさんたちは、最後にさよならと行って車に乗った。 ここでお別れなのにまったく実感がない。フィリピン出国の前日に、今度はJICAの人たちが盛大なお別れ会をしてくれた。益々、また、フィリピンに来たいと思った。
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| 得意のブレイクダンス 子供達が集まってくる |
お別れパーティー 時間のたつのも忘れて |