第5回派遣活動 − その5 −

現在フィリピンで行われている派遣活動について,現地からリアルタイムで報告します。下から古い順になっています。第4次隊までの活動については,「海外派遣活動」からご覧になれます。

第5次隊のその他のファイル
[その5][その4][その3][その2][その1]

第5次隊の派遣スケジュール

麻本隊員の活動報告


9月1日
 土,日はマニラのJOCVドミトリーで休日を過ごし,午後ホームステイ先のエレンさんの家に到着しました。今日は息子さんの19歳の誕生日ということで,夜には友達や近所の方や子供たちがたくさん集まりました。フィリピンでは,日本に比べ誕生日にプレゼントをあげるという習慣があまりなさそうでした。しかし,普段もそうですが誕生日にはもっと,飲んだり食べたり大勢で一緒に楽しい時間を過ごすことを大切にしているように感じました。今日は少し遅くまで,みんなで話していました。






9月2日
 今日は,サリアヤのパルコン組合に日本から北海道教育大学の学生が20人くらい集まり,フィリピン酪農見学や,講演を聞きにきていました。

9月3日
  今日は牛の妊娠チェックをしに行くということで,ジュンさんと大勝さんと一緒に,畜大隊員古上さんのホームステイ先のアルマンさんの家に行きました。アルマンさんの家では多くの牛を飼育していましたが,飼料が足りておらず,痩せてあばらが浮き出ているものも多くいました。飼料のせいもあると思いますが,頭数の割に乳量が少なすぎることも時間をかけて解決しなければならない問題です。チャオンで会うのは初めてでしたが,古上隊員もすっかりステイ先に馴染んでいる様子でした。

9月4日
 今日は午後から畜産大学短期隊員の松島さんが,牛についているダニ駆除の実験に来ました。この辺りの牛には大量のダニが寄生しており,牛自身も痒がって木などに体をこすりつけ,傷口を作り,ハエがたかる状態でした。悪循環を招いており,牛自身も大きなストレスを感じているようでした。この辺りには鶏用のダニ駆除の薬しかなく,牛用のものはありませんが,鶏用で代用できないか,水の濃度を変え,4頭で実験していました。後日,経過を観察してみる模様です。

9月7日
 今日は日曜,祝日ということで,エレンさんと娘のイーアンちゃんと畜大隊員の大勝さんと4人で,ショッピングモールに行ってきました。バスで30分くらいかかったと思いますが,無事到着しました。外観も内面も日本のショッピングセンターとあまり変わらず,食品から電化製品,雑貨,家具,衣類,日用品,何でも売っています。フィリピンは日本に比べ物価も安いので,(Tシャツ1枚100ペソくらい,日本円にして250円くらい?)で非常に快適でした。しかし,調子に乗って買っていると,帰り日本に持って帰れなくなるので,ウインドーショッピングが多かったです。でも見ているだけでも楽しく,十分満喫できました。

9月8日
 今日はホームステイ先で過ごす最後の夜ということで,タタイ(お父さん)のジュンさんたちが,普段とは少し変わった料理を作ってくれました。生地をお湯の中に入れ,火であぶりこねる,ちょっとダイナミックな料理でした。完成はお餅のような感じで,上に練乳の様なものをかけ,いただきました。甘くて美味しかったです。日本にも持っていきなさいと言ってパックにつめて持たせてくれました。

9月9日
 今日がホームステイ最後の日で午前中に,お世話になった方と,ステイ先が近い畜大隊員の藤井君,松島さんとそのステイ先ファミリーが集まり,一緒にお別れ会をしました。みんなで最後の昼食を楽しみました。

9月10日
 今日は明日のFinal Presentationに向け,みんなで各々プレゼン作りに励みました。スライドの順序,構成,省くところは省き,どうやったら筋の通ったスライドになるか悩みました。先生,小路隊員,大林隊員のアドバイスを受け,なんとか完成することができました。夜遅くまで付き合ってくださった,小路さん,大林さん手のかかる学生ですみません…。本当に本当にありがとうございました。

9月11日
 今日,朝門平先生に英文に直してもらいながら,ようやく話す内容も完成しました。門平先生ありがとうございました。たどたどしい英語で,非常にお聞き苦しかったと思いますが,最後まで聞いてくださった皆様本当にありがとうございました。途中,停電が何度もおきハプニングもありましたがなんとか皆無事,発表を終えることができました。

9月12日
 JICAオフィスにて,報告会が行われました。活動概要,生活環境(住居,治安,健康等),JICAボランティア事業への提言など,それぞれ報告しました。

9月13日
 朝9:00発の飛行機に乗り,マニラをあとにしました。フィリピンに来た当初は,あまり英語も話せず,慣れない環境の中,ほんの少し日本に帰りたい気持ちもありました(笑)。しかし,多くの人と出会い,現地の人の優しさに触れ,まだまだ一部だと思いますが,フィリピンの大変さ,良さを身をもって感じることができました。毎日充実した日々を過ごすことができたのは現地の方が温かく接してくださったからだと思います。またいつかフィリピンに来たいと思っています。ボランティアとしていている以上,何か現地の人の少しでも役に立って帰りたい。と心に決めてきましたが,実際に現地の様子を目にし,自分に何ができるのか毎日考える日々でした。同時に,語学力も含め,知識の少なさ,無力さにも気づきました。今まで海外に行ったこともなく,私にとって海外は全く未知の世界でした。しかし,世界には多くの国があり,日本と同じように文化があり,多くの人が住んでいる。そんな当たり前のことを,深く実感しました。最後に,JICA関係者の皆様,畜大の先生方,色々とご迷惑をおかけし,申し訳ありませんでした。また,何から何までサポートしていただき,本当にありがとうございました。心から感謝いたします。

麻本(乳質班)

中山隊員の活動報告


9月1日
 先週のマニラのミーティングや小路隊員のアドバイスなどから,今週はポスターを作ることで何か提案していくことにしました。本日はその内容とポスター用紙の買出しに行きました。ポスターの内容について,「採食,飲水,休息,健康の4つの題目に分ける」,「一問一答式にし,各項目ごとに1点から5点までの点数を振り分ける」,「各項目ごとの解説を別紙に作りいつでも見れるようにする」ことにしまし た。

9月2日
 昨日の決めた内容に従い,ポスターの下書きの作成に取り掛かりました。また平行して乳検のデータを農家さんがいつでも見ることができるように乳検ファイルの作成にも取り掛かりました。

9月3日
 本日は下書きを完成させ,絵の具を用いてポスターの背景を塗りました。また乳検ファイルに関して,アンケート用紙,乳成分分析結果の表,乳検の説明用紙,ポスターの説明用紙の作成を行いました。

9月4日
 午前中にポスターを完成させました。また,14時からカウンターパートのセサルさんにバタンガスにあるいくつかの農場に連れて行ってもらいました。50haもの草地を持った農場や,300頭もの牛がいる大規模農場,搾乳において前搾りや消毒などの一切の搾乳準備を行わずいきなり搾乳し始める農場などさまざまな農場がありました。またこの日は午後の搾乳時間にクラスターにポスターを持っていきアンケートを行う予定でしたが時間がなかったため明日に延期となりました。また,引き続きポ スターの作成を行いました。

9月5日
 朝搾乳時にポスターと乳検ファイルをクラスターに持っていき搾乳所の壁に貼らせてもらいました。また乳件ファイルにポスターの説明とアンケートリストも加えました。また夕搾乳時にはアンケートの配布,説明,その他に乳房炎かどうかを判定するCMTテストも行いました。

9月6日
 朝搾乳時にMejino farmの農家について昨日と同様にポスターの掲示,説明,アンケート用紙の配布,CMTテストを行いました。また夕搾乳の時間にはクラスターに行き,アンケートの回収とアンケートの内容に関しての質問,データ収集を行い,予定通りそのスコアを一枚の紙にまとめ,乳検ファイルに挟みました。またアンケートの結果から以下の2点が分かりました。
1.牛の採食量についての項目で農家の方々の多くは10点「牛はいつもお腹いっぱいで満足している」と解答し,実際の牛の生活環境と矛盾が生じていることから,農家の方が実際の牛の状態を認識していないと考えられます。
2.乳房炎の項目について,乳房炎の牛はどの位いるかという質問に対して2つの農家は「ほとんどの牛が乳房炎である」と認識しているのに対し4つの農家では「乳房炎の牛はほとんどいない」と回答しました。農家の前でCMTテストを行い,現にほとんどの牛が乳房炎に感染しているにも関わらずこのような差が出るのは農家によって乳房炎に対する問題意識の差があるためであると考えられます。

9月7日
 活動も終わり,今日は久しぶりの休日。ということでホームステイ先の家族の方とセサルさんの家族,隣人で仲良しのプロイ,総勢11人で朝6時に出発しアニラオにある海に行きました。午前は海で遊び,午後からアイランドツアーという近くの島までボートで行き,簡単なシュノーケルセットを借りて泳ぐことができるツアーに参加しました。ここではテレビでよく見るようなサンゴの海やイソギンチャク,カラフルな魚たちを間近で見ることが出来感動しました。ここでの文化は誘った人がその全てをおごる(この家の場合),というものだそうでジープニーのガス代,11人分の入場料,コテージ代,食費,アイランドツアー代を全て田丸隊員と2人で払うという偉業を成し遂げました。ホームステイ先の母親やお金持ちで獣医師のセサルさんも本当に一銭も払わず,フィリピンの恐ろしさと文化の違いをまざまざと見せ付けられたような気がします。

9月8日
 今日は午前に農場開きがあるとの事でそのセレモニーに足を運びました。初めてレチョンバカ(牛の丸焼き)を見ました。生後半年の100キロの牛君はその体に太い棒を刺され何時間もくるくると回されていました。チョット酷いけど味は美味!また本日は僕の誕生日会ということで思いっきり祝ってもらいました・・・であれば良かったのですが。ここはフィリピン。フィリピンでは日本とは逆で誕生日の人自身 が皆にお礼の気持ちを込めて祝うのです。今日の参加者は推定40人。決戦は19時より開始予定。僕はチラシ寿司とチーズフォンデュを,田丸隊員は天ぷらを,アテソニアはパサヤ(?)とラデッシュを,アテコリンはパンシットを作り応戦しました。お昼から料理の買出しに行き4時より調理開始。作っては食べられ,催促され・・・終いには「早くケーキを食べたい,出して」と言われる始末。僕はまだ何も食べていない,と思いながらひたすら作り続けます。結局この日,誰からもプレゼントをもらうこともなく,特に祝われることもなく終わりました。これにて僕の21歳の誕生日会は終了。・・・もちろん今日の出費は全額一人で払うので昨日の悪夢よりひどい結果になりました。フィリピンバンザイ。

9月9日
 悪夢の夜から一夜明けて,今日はホームステイ最終日。予定では午前に最後の活動としてクラスターの農家の方々に今回の活動の簡単な報告をすることになっていたのですがなかなか人が集まりませんでした。そこで来てくれた人に活動報告とアンケート内容に関しての更なる質問をしました。また最終日ということで近所で仲が良かった友達の家を一軒一軒へ最後の挨拶に回りました。14時にDTRIのジョバウさんが迎えに来てくれ,サンフランシスコをあとにしました。夜は大林隊員,小路隊員と共にミーティングを開き明後日の最終報告会の内容に関して話し合いました。その後,明日のプレゼン作りがスムーズに進むようにプレゼンの内容とレイアウトを吟味しました。

9月10日
 今日は午前中からDTRIの事務所でプレゼン作りを行いました。途中お昼ご飯に隊員のみんなから誕生日プレゼントとしてケーキを1つずつもらいました。ケーキは一つ一つが大きく,また味も甘いものからしょっぱいものまでいろいろありました。その物言えぬおいしさで僕の心とおなかは完全に満たされました。そんなこんなで無事作り終えることができました。

9月11日
 今日はついに最終報告会。FINAL。時間が足りずカンペをしっかりと作ることができなかったのもあり,隊員の発表中も何を言おうか頭の中で考えていました。そしてついに僕の出番が。しかし停電によりなかなかプロジェクタが復旧しません。そこで場つなぎとして以前練習したアブラハムニダを隊員のみんなで行うことにしました。体をぐにゃぐにゃにして踊っている奇妙なダンス(?)を見て次第に観客にも笑顔が見え始めました。そこで事件が起こりました。先ほどの踊り(?)により言おうとしていた内容が飛んでしまったのです。結局,文法もめちゃくちゃで言いたいことをありのままに言うだけの苦し紛れの発表になってしまいました。しかしNDAの方の反応から言いたい事は伝わっていたようでしたので良かったです。

9月12日
 今日は午前に帰国報告会に参加し,午後からお土産を買いに出かけました。荷物の片付けもし,後は日本に無事帰るだけです!

9月13日
 本日をもってJICAの青年海外協力隊短期派遣のプロジェクトが無事終了しました。今回,このようなすばらしい機会を与えてくださり,派遣を支援して下さったすべての方々に感謝いたします。本当にありがとうございました!

中山(粗飼料班)

大勝隊員の活動報告


9月1日
 今日はステイ先の息子さんの誕生日です。フィリピンでは,誕生日の人が友人に料理やお酒を振舞います。この日は特別に親戚の方がお祝いにヤギ料理を作ってきてくれました。美味しかったです。



9月2日
 午前中は,ジュンさんと共に車で他所の農場へ。牛の人工授精と子牛の治療を見学しました(すべてジュンさんが行います)。パルコンに戻ると,北海道教育大学の学生さんが農場見学に来てたので,私も同行させてもらいました。教育大学の学生さん達の暑がり方を見ていると,どうやら私たちは確実にこの環境に適応してきてるようです。

9月3日
 昨日で搾乳の時間測定を打ち切ったので,搾乳中やることが無くなってしまいました。後は搾乳器具の洗浄など,後片付けを頑張るしかありません。今日はジュンさんに連れられて,アルマンさんの農場へ行きました。アルマンさんの牛を買いたがっている農家さんが,ジュンさんに牛の受胎チェックやコンディションチェックを依頼したようです。農場に行くと,古上さんがworkerさんと作業してました。この炎天下で長袖Tシャツにツナギに麦わら帽子…。この写真を撮り逃したことが無念でなりません。

9月4日
 午後に松島さんが牛のダニ駆除の為,うちの農場にきました。鶏用のシャンプーで効果があるのか実験。雨が降ると薬が落ちてしまうので,雨が降らないといいのですが・・・。

9月5日
 朝の搾乳時に,フィリピンの牛用ビタミン剤や乳房炎治療薬を見せてもらいました。乳房炎治療薬は日本製のハイポリS。標記もすべて日本語でした。

9月6日
 今日はおもにプレゼンテーション用スライドを制作。

9月7日
 今日も活動はoffです。そこで,エレンさん(お母さん),イーアン(娘),麻本さんと私でSM(大型ショッピングセンター)に行きました。ウインドウショッピングを満喫。朝10時に家を出て,帰ってきたのは18時頃。女性だけで行ったからこそできる楽しみ方でした。

9月8日
 明日のお別れ会では,一人一品牛乳料理を作らなければなりません。何が簡単で美味しく作れるか…。私は切り分けられていない杏仁豆腐を,麻本さんは牛乳プリンを作りました。今冷やして固めているのですが,まっっったく見分けがつきません。外では,ジュンさん達が甘いお餅のお菓子を作っていました。男手3人がかりで混ぜては捏ね,混ぜては捏ねを繰り返し,すっごく美味しいお菓子が出来ました。

9月9日
 伝統料理パステリア(生キャラメルの様なお菓子)を作る為,朝5時半にキャピタンの家へ。使う材料は牛乳と,コーンスターチ,砂糖だけです。日本でも簡単に手に入るので帰ったら作ってみます。昼食で,それぞれの隊員が作った料理を披露しましたが・・・ゼリーと杏仁豆腐はもはや別の食べ物に・・・。

9月10日
 明日のプレゼンのスライドを作る為,皆でパソコンに向かって追い上げです。この一ヶ月で唯一のデスクワークday,そして一番ハードな日でした。もう深夜3時。深夜の,スライドの制作には大林隊員と小路隊員がつきっきりで手伝ってくださいました。本当にありがとうございました。

9月11日
 プレゼン発表会。緊張で死にそうでした。質問に対してうまく英語で答えられませんでしたが,発表が終わると開放感がどっと押し寄せ,昨日の寝不足もあり,マニラへ移動中の車では良く寝れました。

9月12日
 朝からスーツでJICAの事務所へ。普段サンダルを履いていたので,靴に違和感が…。午後は電車を利用してお土産を買いに行きました。電車は切符ではなくカードを使って乗ります。あまりに混雑してたので驚きました。

9月13日
  荷物を整えマニラ空港へ。小路隊員が見送りに来てくれました。フィリピンでは本当に多くの皆さんにお世話になりました。本当にありがとうございました。帯広空港に着くと,木田先生が迎えてくれました。今回の派遣では先生にとても心配をかけてしまい,「怒られるかな?」とも思いましたが,無事に帰国したことを笑顔で出迎えてくれました。本当に嬉しかったです。

大勝(濃厚飼料班)

古上隊員の活動報告


9月1日
 今朝8時半にマニラを出発してホームステイ先へと向かった。渋滞につかまる前にマニラを脱出することができ,僕の家に着いたのは昼頃だった。家に入るとナナイだけいて他の人たちは居なかった。タタイとネネはバタゴという牧場に行っているらしい。タタイがそこでAI(人工授精)の勉強会が開かれており,泊りがけだそうだ。言っていなかったがタタイは人工授精師の資格を持っている。ナナイと二人だけっていうのはちょっと緊張する。実はナナイは殆ど僕と食事を囲んだことが無い。いつも,タタイとネネと僕だけでご飯を食べていて,奥の台所でナナイが時間をずらして一人で食べていたりする。ホームステイを始めて2日ぐらいはナナイをお手伝いさんか何かと勘違いしていたくらいだ。気になってネネに「どうしてナナイは一緒にご飯をたべないの?」ときいたことがあったが,「ナナイは自分の好きなときにご飯食べたいんだよ。」と言っていた。それも少しはあると思うがそれだけとは思えなかった。ナナイがどうして僕たちと同じ食卓に付かないか,最近分かってきた。ここからは僕の推測だが,ナナイはタガログ語しか話せないからではないだろうか。僕たちのコミュニケーションは英語で,この国で英語がしゃべれるのは大学を出た,ちゃんと教育を受けた人だけだと聞いたことがある。もし英語がしゃべれないとしたら,家で英語をしゃべれない人はひとりだけで,それを恥ずかしいと思っているのではないだろうか?僕はマニラからブラウニーというお店のケーキをお土産に買ってきていたのでナナイに,一緒に食べようといって差し出したら,サンキューと言ってくれた。初めての会話かもしれない。これをきっかけに,もっと近づけたらうれしい。ご飯はいつもネネが作ってくれているが,今日は居ないので昼ごはんはどうなるかと思っていたが,ナナイが用意してくれて,部屋まで呼びに来てくれた。でも,しゃべるわけではなくジェスチャー伝えてくれた。昼食後,昼寝をしていたらネネが帰ってきて「SMリパ(リパというところにある,シューマートというデパートメントのこと)のお土産。」と言ってハンカチをくれた。本当に気を使ってくれる。ロイロイの手伝いと,子牛の世話を終えた後ペットボトルの蓋を出来るだけ集めた。これは,耳標に代るネックタグを作るのに使えるのではないかと考えたからだ。しかし,急に蓋といってもなかなか38個も集まらない。時間をかけて数をそろえよう。


9月2日
 今日はいつも通り仕事を手伝った後,自分の課題を進めるために,ペットボトルの蓋の表面を焼いた鉄の針金で,溶かしながら数字を刻んでいった。家の裏で焚き火をしながらこの作業をやっていたら,炭酸飲料の瓶の蓋がおちているのを発見した。これ使えるんじゃないか!!と思ってハンマーで叩いて平らにしてみた。すると直径3.5センチくらいの丸い鉄板ができ使えそうだった。試しに釘で鉄板に穴を開けながら数字を書いていった。これがなかなか良い。すごくこれが気に入ってしまって,ペットボトルの蓋はそっちのけで,今度は炭酸飲料の瓶の蓋を探すことにした。ネネにサリサリストアーに連れて行ってもらって,その店の周りを探しまくった。サリサリストアーとは日本で言う駄菓子や見たいな小さい店で,どんな田舎でも至る所にあって日用品など様々なものが置いてある。サリサリの周りは思ったと通り蓋がいっぱい落ちていた。フィリピンの人はゴミをあちこちに投げ捨てる。この習慣は嫌だなぁと思っていたが,このときだけはありがたく感じた。うれしそうにゴミを拾っている日本人が滑稽に見えたのか,人が集まってきた。ネネは少し恥ずかしそうにしていたが,僕はお構いなしに38個集め,意気揚々と家に帰った。帰って直ぐハンマーでトントン始めた。ロイロイが僕のやっていることに興味を示して,釘で数字を刻んでいってくれた。とても器用で,これなら僕が帰国してもロイロイが代わりにやれる。夕方,タタイを迎えにバダコまで行った。帰りネックタグに必要な道具,白のスプレーペンキと,細いロープを買った。帰ると9時過ぎでシャワーに入って寝た。作業の続きは明日やろう。


9月3日
 今朝も同じようにロイロイとフェンスを作っていたら,大勝さんと麻本さんが現れた。全く知らなかったのだが,タタイが牛を11頭売るらしい。それで大勝さんと麻本さんのホームステイ先のジュンさんがPD(妊娠の有無を調べること)をしにきたのだ。大勝さんと麻本さんは僕と一緒にいたロイロイ挨拶していたが,ロイロイはとてもシャイで,恥ずかしがって逃げていってしまった。僕たちはPDを見に向かった。PDの最中,結果を書きとめてくれ,と言われたが耳標がないので何番が妊娠何ヶ月と書けない。とりあえず右から何番目と言うやり方で書いて,後でタタイに番号を教えてもらった。タタイだけは耳標が無くても牛の番号が分かる。すごいけどこれでは記録を残しにくいし,第三者には到底分らない。早くネックタグを作らねば!この日はNDA(国の酪農指導機関)の人も来ていて,僕のネックタグの試作品を見つけた。まず,ペットボトルの蓋のを見て「いいねー,でももっと大きかったら,いいのに。」と,そして,僕のお気に入りのちょっと自信があったビンの蓋のやつは「これは薄くて危ない。」と一言言われた。ショックだった。本当にその通りだった。見てくれだけ気にして,そっちに気が回ってなかった。ビンの蓋はやめておこう。作戦練り直し。 

9月4日
 今日はペットボトルを使ってネックタグを作ることに挑戦した。透明の部分を適当な大きさに切って,熱した針金で数字を書き,白いペンキで塗装し,マジックで数字をなぞっておしまい。そういえば,明後日は空港に行くことにたった。三男のエドワードの嫁のタタのお父さんが亡くなったらしく,明日故郷のミンダナオ島に帰るそうだ。それで,昼に航空券を買いにタタイはまたサントトーマスに出かけていた。タタイがいないぶん仕事は大変だったがロイロイがいたのでなんとか1日の仕事は終えた。

9月5日
 今日特別なことと言えば,ネネがパステリアというお菓子を作ってくれた。キャラメルのようなもので牛乳と砂糖とコーンスターチを混ぜ,火にかけ焦げないようにひたすらかき混ぜ続ける。水あめ状になればおしまい。冷えてくれば砂糖の上に少量とって棒状にのばして紙に包むとおしまいだが,今日は時間がなかったので,棒状にのばすだけにした。この作業に国民性が出た気がした。僕は転がしてきれいに棒状にして,きっちり隅から順番にならべていったが,ネネはひっぱって伸ばしてしっかり棒状にせず,並べずに上に積み上げていった。日本人ってマメだな。この作業が終わって,さあ寝るかぁって言っていたら,ネネが落胆の声をあげていた。何が起こったのかと思って見てみるとちゃんと砂糖を付けていなかったからせっかく棒状にしたやつが全部くっ付いていた。またやり直しだ…。日本人のマメさも捨てたもんじゃない,と思った瞬間でした。

9月6日
 今日は朝の仕事を済ませて直ぐ8時くらいに,マニラの空港に向けて出発した。空いていれば2時間半くらいで着く。しかしその日は平日で,道は混んでいて思うように進まなかった。10時になってもマニラに入れず,土地勘のない僕ですら遅れるんじゃないかとソワソワしていたのに他の人たちは,まったく時間を気にせずコンビニ寄ったり,トイレのためにガソリンスタンド寄ったり焦りが見られない。僕は「日本では飛行機乗るなら最低でも1時間前には空港に着いてないとだめだよ」と言ったけど急ぐ気配は見られなかった。フィリピンの人は時間にルーズなのだ。皆それをフィリピンタイムと呼ぶ。おそらくフライト時間の12時30分に着けばいいと思っているのだ。11時になってようやく高速に乗ることができた。高速降りて少しと言っていたがなかなか着かない。空港が見えてきたがこれは国際空港だ!なんと空港を間違えていたのだ。警備員のおじさんに国内線の空港を聞いて急いだが,着いたのは12時28分くらい。間に合うかなぁと言って車を降りて空港に入って行った。心の中で間に合うわけないでしょ!と思ったが言わなかった。しばらくしても帰ってこないから,もしかして飛行機もフィリピンタイムなの?と思っていたら帰ってきた。だよね。1日1便しかないから明日また来ると言っていた。誰かを責めるわけでもなく,皆笑っていた。この国の人は本当に穏やかというか,のんきというか。でも,こういうの嫌いじゃないな。日本ではすぐに誰々が悪い,誰々のせいだと言ってしまいそうなものだ。帰りに,SMに寄って,8日にあるお別れパーティー用の食材を買って帰った。家に着いたころにはロイロイが全ての仕事を終えていた。出来る男だ。

9月7日
 今日は昨日より早く6時くらいに空港に向けって出発した。僕は残って仕事することにした。二日もロイロイ一人に任せるのは可哀想だから。いつも通り仕事を終えたあと,作ったネックタグを牛につけていく作業をした。しかし,素直に首に掛けさせてくれず走り回った。結局つけられたのは,木につながれている子牛だけだった。明日はネネに手伝ってもらおう。9日にホームステイ先を離れ,フィリピン大学でファイナルプレゼンテーションの準備をするから,早くしないと間に合わない。

9月8日
 今日はモリナファームのパーティーにタタイが連れて行ってくれた。そこには中山隊員もいて久しぶりに会ったら彼はすっかり日に焼けて真っ黒になっていた。パーティーでは偉そうな人が何かしゃべっていたがタガログ語だったのでさっぱり分からなかった。堅苦しい話が終って笑いが起こるようになったが,やっぱり分からなかった。暇だったので中山隊員とバカレチョン(牛の丸焼き)を見に行った。そこには生後半年の牛が鉄の棒に突き刺さって真っ赤になった炭の上で回されていた。鉄の棒の端には車のハンドルが付けてあって中学生くらいの子供がクルクル回していた。楽しそうだから代わってもらったけど,3分もすれば炭の熱で汗だくになってGIVE UPした。そうしている間に,テープカットが始まった。真中に太ったおばちゃんがいて,誰だろうと思っていると,タタイが彼女はボスだと教えてくれた。確かにあの体格はボスの体格だった。フィリピンでは太っていること,肌が白いことがステータスらしいのだ。太っているってことは食べ物に困らないほど裕福な証で,肌が白いってことは日差しの強い外で働なかくていいということらしい。だから,肌が白いともてるらしい。僕はすっかりやけてしまってもてる要素を自ら失ってしまった。うかつだった。日焼け止め持っていってたのに…。そんなこんなで食事が始まりバカレチョンを食べてみた。ハッキリ言って見た目は派手だが,味はいまいち。ステーキにして食べた方が断然美味しいと思う。飯を食ってそそくさと家に帰った。今日は午後からNDAと僕のかかわっているプロジェクトの人たちが集まってお別れ会をしてく れるのだ。そこで,隊員は牛乳を使った料理を一品作らなければならないので,僕は牛乳プリンを作った。味は手前味噌だが美味しい。気に入ってもらえるだろうと思ってテーブルに並べた。テーブルの上にはナナイとネネが作ってくれた料理がいっぱい並べられていて,僕のプリンの横にはAKIさんが差し入れで持ってきてくれた”ビーノ”という日本のスナック菓子がお皿に盛られて置いてあった。お別れ会が始まってしばらくすると僕のプリンの辺りに人が群がっていたので,嬉しくなって行ってみると,群がっていたのはビーノにで,プリンにではなかった。次から次へと「おいしいスナックあるんだって?」と言って人が集まってくる。AKIさんに持っていかれた。今日は僕が主人公のはずなのに・・・。怨めしや?。そんなこんなで今日は1日中食べて終わった。


9月9日
 今日は今までネッグタグが付けられなかった牛に付けていったが,結局乾乳の牛4頭には付けられなかったのでタタイにお願いした。午前の仕事終えて,シャワーを浴びた。タタイは2年前に来た3次隊の人が作ってくれた親子丼がとても気に入ったらしく「コドン食べたい」というので,最後に家族の皆に親子丼を振る舞った。タタイは何故か何度訂正しても親子丼を”コドン”と呼ぶ。響きが気に入ったのだろうか?3時にAKIさんが迎えに来てさようならだ。慌ただしいのは嫌だったので,早く支度してタタイ,ナナイ,ネネにプレゼントを渡した。すると,タタイも僕にプレゼントがあると言って酪農組合のTシャツをくれた。一生の宝だ。3時に迎えがきて,家族のみんなとハグをして車に乗り込んだ。ドアを閉めると車はすぐに出発し拍子抜けするほどあっさりしたお別れだったが,湿っぽいよりはいいかな。でも,本当にありがとうタタイ,ナナイ,ネネ。結局いつの間にかナナイと一緒に御飯を食べるようになって,会話も単語とゼスチャーを交えて出来るようになっていた。必ず手紙を書くぞ!大学のシアルカという宿泊施設に着くと角平先生と合流して,今後の予定をチェックして,ご飯を食べて,1日が終わった。

9月10日
 今日は朝からプレゼンテーションの準備だ。パワーポイント発表するのだが全部英語で作らないといけないので大変だった。でも自分の発表は単純明快なので簡単に終わる予感がしていたが,案外時間がかかったが徹夜にはならなかった。ほかのメンバーはほぼ徹夜で作っていた。でも,一番大変だったのは,AKIさんと大林さんだ。皆の準備を手伝って一緒に徹夜をしていた。本当に感謝!感謝!

9月11日
 とうとう発表の日だ。みんな朝が来ても終わっていなく,緊迫した空気が流れていた。10時からスタートだったが,僕ら以外誰も集まっておらず,始まったのは10時半くらいだった。またもやフィリピンタイム。大勝,麻本,古上,中山,藤井,松島の順で発表が始まった。何度か停電が起き,僕のプレゼンの最後の方に停電になってからは,回復しなかった。プロジェクターが使えなくなったので,急きょ残りの3人は皆でパソコンを囲んでの発表となった。そんなこんなでなんとか発表を終えることができた。発表の後昼食をとって,閉会の式が行われた。そこで一番面白かったのは,麻本さんの英語でのスピーチだった。「I don’t forget you……however.」foreverとhoweverを間違えたのだ。麻本さんは本当に天然でいいキャラだ。いつも僕たちを笑わせて和ませてくれる。式も終りNDAの人達と記念写真を撮ってマニラに向けて出発した。今日はJICAの寮で泊まって明日,JICA本部に最終報告に行く。

9月12日
 最終報告では,この1か月どういう活動をしてきたかを,次長と調整員に簡単に説明して,それに対して質疑応答があって2時間くらいであっさり終わった。最後に,調整員の田中さんからは,最後に気が緩んで,荷物盗まれたり,怪我したりするから,しっかり気を引き締めるように注意された。このあと長期隊員のチエさんとAKIさんに,TIENDESTASというお土産屋が集合する場所に連れて行ってもらった。そこで,6時まで時間を潰して,最後に調整員の方,長期隊員の方とAKIさんとでご飯を食べに行くことになっていた。が,TIENDESTASの帰り松島隊員がガラスを踏んでしまい,それが靴の底を突きぬけて足に少し刺さってしまう事件が起こった。そこで,松島隊員はAKIさんと救急病院に行って破傷風の注射と手当をしてもらい,後で僕たちと合流することになった。何か事件が起きればすぐ対応してくれて,本当にJICAにはお世話になったし,普通では考えられないくらい僕たちを守ってくれていると改めて感じる瞬間だった。田中調整員は「ガラスを踏むなんて!あれだけ気を引き締めるように言ったのに。」と少し怒っていたが,夜だったし,靴の底を突きぬけてきたのだから,どうしようもなかったと僕は思う。無事治療を終え僕たちと合流して食事を終えて寮に帰った。明日はいよいよ帰国だ。

9月13日
 フライト時間の3時間前に空港へAKIさんが送ってくれて,お別れをした。本当にお世話になったAKIさんにはいくらお礼を言っても足りないくらいだ。北海道に来たらできる限りのおもてなしをしたい。飛行機に乗ると僕も含め皆死んだように寝ていた。疲れが溜まっていたのだろう。あっという間に日本に着いてしまった。飛行機を乗り換え帯広に着いたのは8時頃だった。木田先生が出迎えに来てくれて,皆出で記念写真を撮った。あと,AKIさんから頼まれていたお土産を木田先生へ渡した。そのお土産は,竹の筒の中に小さい貝が入っていて,傾けると雨が降っているような音が出るもので,先生は子供のように喜んで空港のロビーで何回もチャラチャラし始め,結構音も大きく響くので注目の的になったが,先生はお構いなしで笑いながら何度も繰り返していた。ちょっと恥ずかしかったが,これだけ喜んでもらえるならAKIさんもプレゼントのし甲斐があったなぁと思った。これで僕たちのフィリピン短期派遣は終わった。6人無事に帰って来れたことが何よりうれしい。

古上(繁殖班)

松島隊員の活動報告


 お久しぶりです!派遣隊員の松島です。 最後の2,3日は怒涛の忙しさラッシュだったのでなかなか活動日記が書けず更新が遅れてしまいました。というか今はすでに帯広です。しかし無事に帰路に着くことができほっと一安心と同時にこの派遣を支えて下さった方々へ,隊員一同感謝の気持ちでいっぱいです。最後の週,派遣先では最終報告での資料づくりやらに時間を取られ,ほとんど手伝いなどはできなかったので活動報告といっても大したことはしていないような感じになってしまっているのですが・・・そんなこんなで,活動日記(感動の最終約2週間編)をどうぞ。

9月1日
 マニラからステイ先へ移動。活動としてはこの日はパソコンのデータ整理くらいでしょうか・・。ジェマの家に新しいワーカーの若い男が増えている!と思いきやマニラからきた数日間だけ遊びにきた甥っ子ジャン(ジェマの親戚はかなり多く,結局最後まで親類関係のすべてを理解することはできなかった)らしい。調理師を目指しており,料理がかなり上手い子でした。さすがマニラで大学に通う都会っ子なだけはあり生活は夜更かし遅起き。

9月2日
 今日はPALCONに北海道教育大学の学生達が国際協力の活動の様子(つまりは正規隊員の大林さんの活動の様子)を見学に来るということで,私を含めサリアヤの4人がお手伝い兼見学に行きました。日本から初めてここに来た人達と一緒にレクチャーを聞いたり農場を見学に行ったりしていると最初にここに来た時の新鮮でやる気に満ちた気持ちが甦ってくるような・・初心に帰って残りの日々をもっと真摯な態度で励もうと強く考えさせられました。夕方はまたPALCONで乳検についての考察。

9月3日
 今日は朝から鶏を調理。ワーカーの一人のウダンがコンクリートに頭を打ちつけて殺した鶏(動物を愛する彼はこの後泣いていた・・)をジェマが慣れた手つきでさばいていきます。ジャンが料理したこの鶏,ものすごくおいしかったです。こんな新鮮な鶏を食べたのは初めてです。意外と簡単に解体できるんだなー,と思いました。ジェマ家では風邪が流行しており,私もかかったようで鼻水が止まりません。カラマンシージュースを飲んだりのどに効くという葉っぱ(苦い!)をお茶にして飲んでいました。昼からPALCONへ行きポスターの考案など。

9月4日
 朝は牛にやる草刈りの手伝い。汗だくになる。家事の手伝い(水汲みや洗濯)。今日は麻本隊員と大勝隊員のステイ先のジュンさん家の農家でダニの調査と実験をさせてもらいました。皆でわーわー言いながらダニを取ったり牛に薬を塗ったりしてとても楽しい調査でした。2人とも手伝いありがとう。たまたま近くに寄られた調整員の田中さんも途中から様子を見に来られ,「女子の方が生き生きしてるね!」等のお褒めの言葉をいただきました。夕食は一人でシニガンスープ(すっぱくておいしい)を作りました。塩を入れ忘れたら90点と言われる・・・。

9月5日
 朝は軽く農場の手伝いをしてから昨日実験をしたジュンさん家へ。何故かダニが増えている気が・・。 午後はPALCONで活動しました。

9月6,7日
 この土日は休日ということでジェマとその彼氏ジェイに色々な所に連れて行ってもらいました。ロクバンという280段の階段を登った所に巨大なキリスト像がある所に行ったり夜明けの海に泳ぎに行ったりしました。ジェイは日本のドリップコーヒーの中に入っている乾燥剤を砂糖と間違えて入れて飲んでしまい,私は日本語の物がこちらに入ってきた時,日本語で書いてあって読めない場合はこういう危険な事が起こる事も少なくはないだろうな,と思いました(Don’t eatとは書いてあるのですが・・)。

9月8日
 ジェマと明日のさよならパーティーのための食材を市場まで買いに行きました。夜は最後の夜ということでジェマ家ではささやかなパーティーを開いてもらいました。ああ,明日はここともお別れか・・・

9月9日
 朝早くから藤井君と大林隊員のステイ先,キャピタン(村長)の家でパステリアス(生キャラメル)作りを見せてくれるということなので行ってきました。材料をかき回し続けるのは結構つらい・・。しかしおいしい生キャラメルになりました。今日は昼からキャピタン家でサリアヤ4人とステイ先の人々,NDAの人々とのさよならパーティーで私達は牛乳を使った料理を作らねばなりませんので出発準備もあって大忙しでした。私は大不評が予測されるであろう牛乳焼きそば(ミルクパンシット)という珍妙な料理と日本から持っていったすし太郎ですし飯を作りました。他の3人も固まらない牛乳プリン(液体)にぼろぼろ杏仁豆腐,カップラーメンに熱い牛乳を注いだものという散々な顔ぶれでしたが皆おいしく食べて?いただき嬉しかったです。ステイ先の方々にそれぞれ用意してくださった感謝状も渡しました。最後のステイ先との別れはもう一生会うことはないんだろうな・・と思うと感慨深く,不覚にも号泣してしまいました。一番仲の良かったワーカーのウダンとの別れが一番辛かったです。しかし感傷にふけっている場合ではありません!今日はロスバニョスに向かい,今日明日と明後日の最終発表会のためのプレゼンテーションに全力を費やさなければ!

9月10日
 今日はDTRIに朝から漫画家のようにカンヅメとなり,各々プレゼンを作り続けました。私はポスター作りに半日を費やすという愚かな行為でDTRI内をさまよっていましたがSEARCAに戻ってからは本気でやばいと思い破竹の勢いでプレゼン作りを進めました。男子3人は何故か余裕で女子の部屋に踊りに来るほどでしたが女子3人は徹夜でヒーヒー言いながら小路さんと他の隊員の方に助けていただきつつ作業を続けました。隊員お二人にはほぼプレゼンを作っていただいたといってもいいほどつきっきりで作業していただきました。明け方には疲労とクーラーの寒さで皆頭がちょっとおかしくなってよくわからない言葉をしゃべっている有様でした。

9月11日
 とうとう最終発表。停電により最後3人はパソコンの画面をそのまま見せて発表するという過酷な状況でしたが皆全ての力を出しきった素晴らしい発表だったと思います。自分でも満足のいく結果が残せて良かったです。感謝状をいただき昼食,記念撮影後マニラへ急いで移動。JICA事務所へ行き,挨拶。

9月12日
 今日は再びJICA事務所へ行き最終報告会を行いました。日本語でのヒアリング形式なので話しやすく,気も楽でリラックスして話すことができました。これが終わると,ああ本当にすべて終わってしまったんだなあ・・という達成感(完全ではないですが)と寂しいような気持ちが湧いてきました。お土産も買い終え,さて最後の夕食会へ・・と思ったところ,段差を降りた私の足の裏に異変が起こりました。「メシャッ」。LEGOブロックを素足で踏んでしまったような痛み。なんと落ちていた尖ったガラスを踏んでしまい,サンダルを突き抜けたガラスが足に刺さり血が出ていました。不可抗力の事態とはいえ最後までこんなことをやらかすなんて・・・。即効病院へ行き治療と注射を打ってもらいました。最後の最後まで迷惑をかけて本当に申し訳ありませんでした!小路さん田中さんっ。

9月13日
 皆疲労がたまっているようです。しかし無事に帰国し,出迎えに来ていただいた木田先生と再会することができました!皆さん本当にお疲れ様でした!
フィリピン裏日記
これは日記に書けないフィリピンで起こった様々な珍妙な事柄を紹介する「裏」日記です。
・幽霊 ステイ先で起こった出来事。ある寝苦しい夜,寝返りを打つと体が動かない。金縛りってヤツである。ええ?ちょっとちょっと,と思っているとベッドの背中側に人がドウっと倒れ込んできた感覚があり,その人(らしき存在)はタガログ語だか英語だかよくわからん言葉でぶつぶつ私に語りだしたのである。ぎゃーこれお化け,やばい今私心霊体験しとる!!と頭の中はぐるぐるで「ジェマー,ジェマー」と助けを呼ぼうにも声が出ない。バセンシャナポ,とタガログ語でごめんなさいを唱え続けると金縛りは解けたのだがほんと怖かった。翌日みんなにそのことを言うと笑ってバカにされた。その後も「今日はゴーストでたの?」とかからかわれ続け・・・ほんとだってばー!大林隊員が「あそこで昔大量虐殺があったんだよ」と教えてくれたので,ほらやっぱりと思ったがどうやらその話は嘘らしい。うーんなんだったんだあれは。という恐怖の出来事。
・トイレ
便座がないのはもちろんのこと,紙もない。水も流れないので汲んできた水をバケツや手桶で流し,ブツを流す。それがステイ先のトイレ。ちなみに風呂場と共同扱いなのでここでバケツの水を浴びることになる。トイレットペーパーも捨てる所なかったので(ショッピングモールとかのトイレにはある)水をかけながら手で洗うインド方式だった。エコといえばエコかもしれない。どこかの農場のトイレとか外出した時に入るトイレはもっと汚いので空気イス状態で用を足さねばならないこともしばしば。まああまり苦には感じませんでしたが。
・マニラZOO
ガイドにボッたくられた。休日マニラに行った時に皆で行ったマニラ動物園。ボート屋の男が途中から色んな所を案内してくれた。ああー絶対お金取られるんだろうなーと思って気を許さないでいたが,案の定最後に搾取された。まあでもわずかな料金(といっても向こうにしてみればかなりの稼ぎだ)でこっちも楽しんだしいいか・・と思ってもなんだか腑に落ちない出来事であった。



松島(乳質班)

藤井隊員の活動報告


 こんにちは。お久しぶりです,育種班藤井です。遅くなりましたが最後の週の活動記録をupしたいと思います。

9月1日
 今日は朝からマニラを出発し各隊員任地へと戻った。心配していた渋滞もたいしたことなく昼ごろ無事にサリアヤ村へと到着した。活動を再開した。主に農協でデータの分析をした。データは取れているが繁殖データがなくデータの活用は難しいようだ・・・何か考えよう。

9月2日
 朝から今日来る北海道教育大学函館校の方々を迎える準備に追われた。11:00ごろ20人の学生が到着した。教育大の学生たちは積極的に村の人たちにインタビューしていてすごく積極的な印象を受けた。どうやらjicaの活動の視察らしい。村落開発員をモデルとしていろいろな調査を行っていた。同じ学生の活動をみてすごく刺激になった。

9月3日
 僕は,乳検データの早見表をつくることをひとつの目標とすることに決めた。そこで今日は,朝からパルコンも現状と項目探しをした。ひとまずの早見表はできたがまだまだ手直しが必要だ。明日からがんばろう。

9月4日
 今日は昨日作った早見表の手直しをした。パルコンはやはり繁殖データの量が極端に少ない。原因は,農家,農協間でのコネクションがないためであると思う。この早見表ですこしでも情報が農家へと降りて行けばと思う。

9月5日
 いよいよサリアヤへの滞在もあと少しとなってきた。いまや,見慣れた,農村風景や人が見ることができなくなるなるかと思うと少しさみしくなる。と,同時にファイナルプレゼンテーションまで日数がないことにふと気づき少し焦ってきた。今日も基本的には昨日とおなじ作業をした。早見表をつかえばいまいる牛群の効率の悪いとこや未来,改良することになったさいの大切なデータになることだろう。いや,なってくれなければ困る。

9月9日
 今日はサリアヤ村滞在最後の日だった。ステイ先のファミリーをもてなすため朝から牛乳料理の準備をした。僕はミルクラーメンと豚の角煮をつくった。豚の角煮は前の日の晩から煮込んでいてかなりおいしく作れたと思う。ミルクラーメンは市販のカップヌードルのようなものと牛乳をあわせたようなものだ。 味は想像にお任せさせてもらう。ステイファミリーとの別れはたった1か月だったがやはりつらいものだった。一緒に活動したり,ご飯をたべたりした思い出は忘れられないものになったと思う。午後からファイナルプレゼンテーションをおこなうロス・バニョスへと移動した。先に到着していらした門平先生と一緒に夕食をたべた。

9月10日
 今日は朝から先生も含めみんな大学の施設にこもり最後のプレゼンテーションづくりに奮闘した。作業は,深夜,いや早朝までつづき,朝集まったときには,みんなナチュラルハイでテンションが高かった。

9月11日
 今日はファイナルプレゼンテーションの日だ。僕は慣れない苦手なプレゼンにものすごく緊張した。途中何度も停電し,緊張も増した。一応いいたいことは言ったが,ちゃんと伝わっていればいいなとおもう。終わった!!!昼ごはんがすごくおいしく思えた。と同時に眠気も襲ってきた。マニラまでの車内はすごく静かだった。

9月12日
 今日は帰国報告会をjicaにて行った。1か月の活動を説明したのだが話しながら活動が走馬灯のように思い出された。日本では,到底できないことの連続の貴重な夏休みだったと思う。明日は,日本だ!

9月13日
 朝6時に出発し成田,羽田空港を経由して帯広に到着した。心地よい涼しさと久し振りにみる木田先生にほっとした。昨日も書きましたが,本当に貴重な1ヶ月間を過ごさせてくださったJICA,,学務課,先生方,またフィリピンの皆さん,ありがとうございました。この1か月の体験を,僕の一生の糧に,宝物にできるようまだ残っている活動を頑張りたいと思います。



藤井(育種班)

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