現在フィリピンで行われている派遣活動について、現地からリアルタイムで報告します。下から古い順になっています。以前のものについては下のリンクからたどってください。
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このレポートも最終回になりました。今、私は東京発JAL1157便の中でワープロを打っています。
今日は、午前中は予定がありませんでしたので、ホテルで全員集まって活動の総括をしました。それぞれ、自分の活動に点数をつけてもらったところ、全員が70点。30点減点の理由を尋ねると、タガログ語の言葉の壁のため英語が分からない農家での調査や活動が十分にできなかった分が−10点、活動時間と移動手段の制約からやりたかったができなかったことが−10点、そして、自分の知識と技術の足りなさで、やりたいと思ってもできなかった分が−10点とのことです。
ずいぶん謙虚な自己評価です。『このような自己評価ができるようになったことひとつとっても、君たちはずいぶん成長したのですよ!』という気がします。今回の活動のおかげで、これからの自分にとって何が必要なのか、今後の派遣隊員に何を伝えるべきか、そして大学として次回の派遣に向けて何をやるべきかがいっそう明確になりました。これらは、すべて君たちの活動の成果なのです。私からは、100点以上の点数をあげましょう!
午後は、今回の派遣、最後の公式用務であるJICA東京事務所での帰国手続きと最終報告会です。
報告会では、協力隊事務局の魚屋アジア第一チーム長の司会により、JICA東京の山口所長はじめ、前帯広センター長の村上部長、南技術顧問など多くのJICAの皆さんの前で、フィリピンでの活動の概要とその成果をスライドでご報告しました。久々の日本語による日本人を前にしたプレゼンと時間が限られていたせいでしょうか、ずいぶん緊張しています(フィリピンでの英語のプレゼンの方が決まっていたなぁ・・・)。
『言いたいことの半分も言えなかった』とはある隊員の弁。でも、これもまた貴重な体験です。
将来、協力隊員として活動したいかとの問いには、全員が、口を揃えて機会をとらえて行ってみたい、そして行くならまたフィリピンにと答えていました。しかし、その前に就職して、しっかりとしたスキルを身につけてから臨みたいとのこと。これもまた、国際貢献活動を実体験したことにより、単なる憧れや興味だけではなく、責任感が育まれた証=今回の派遣の成果でしょう。
そろそろ帯広到着の機内放送です。
JICA学生短期海外派遣ボランティア第4次隊の皆さん、本当にお疲れ様でした。そして、お世話になったフィリピンの人たち、本当にありがとうございました。
Maraming salamat po!!

帯広に帰って来たぞ!
報告:木田(引率教員)
今日は、当初の予定とは異なり、午前中の予定(広尾センターでの帰国手続き)はなく、午後にJICA東京本部で『帰国手続き』と『報告会』をすることになりました。午前中は、ホテルでのんびり休息です。全員、いたって元気です。
報告:木田(引率教員)
午前11時、JICAのドミトリーを出発です。マニラ国際空港への道のりは、珍しいほど空いていました。
十分な時間的余裕を持って、空港に到着。フィリピンに滞在中、車での移動からお買い得の店の案内と、何から何までお世話いただいたエルモさんともほんとにお別れです。名残は着きませんが、さぁ、いよいよ帰国です。
たくさんのお土産で、自分の体重よりも重そうなスーツケースですが、グループチェックインで何とか料金超過はクリアしました。税関を抜け、免税店で財布のペソをすべてお土産に換え、公用ビザの特権−航空会社のラウンジでちょっと贅沢な気分に浸りながら出発までの時間を過ごしました。ここでは何と、一般旅券の私にもラウンジ利用券を発行して下さいました。さすが『ホスピタリティの国』とあらためて実感です。

出発を見送ってくれた
JICAドミトリーの猫と
椰子の実
マニラからの飛行機は、これまた珍しいほど空いていて、まさしく快適な空の旅でした。 それにしても旺盛な食欲です。これこそが、過酷な活動のエネルギー源だったのでしょう。

ラウンジそして機内にて:
食欲は活動の源です
ついに、1ヵ月半ぶりの日本です。これほど多くの日本人がいることに違和感を禁じえません。ホテルにチェックインすると、ほっと安堵のため息が漏れます。昨日までフィリピンの田舎にいたことが不思議な気持ちになってきます。ホテル内の食堂で、コシの強いラーメンを皆で食べ、ついに日本に帰ってきたことを実感。心地よい疲労感に包まれ、長い長い一日が終わりました。おやすみなさい。
報告:木田(引率教員)
今日はロスバニョスともお別れです(最後の1週間は、毎日が別れになります・・)。
DTRI、JICA-JOCVの皆さんと別れを惜しみながら、一路マニラに移動しました。

ロスバニョス:
名残はつきません。

渋滞の高速道路を抜け、午後にはJICAのドミトリーに到着し、フィリピン最後のオフィシャルワーク―JICAフィリピン事務所での最終報告会に臨みました。ドミトリーでは、今年も、見事な花々が出迎えてくれました。
最終報告会には、JICAフィリピン事務所の渡辺次長と、ボランティア調整員の若林さん、田中さんに対応いただき、隊員各自が体験し、活動した成果を報告しました。
活動の最初は、ホームステイファミリーとのコミュニケーション作りと活動計画の思案に明け暮れたこと、本格的に活動開始してみると移動手段がないことや自身の基礎的知識が不足し、時間も足りないためなかなか思うような活動ができないことに苦慮したこと、でも最後には一定の成果をまとめあげて英語のプレゼンテーションによる報告ができて安堵しているものの、まだやり足らなかったことが多々あり、悔やまれるという心境が報告されました。

最終報告会:
JICAフィリピン事務所にて
私は、傍らで聞いていましたが、『なぜ、みんなそんなに謙虚なの? もっと自分のやったことに対して自信を持ちなよ!』という気持ちになりました。活動成果についての遠慮がちな報告は、おそらく彼らがフィリピンの人々から受けた恩恵があまりも大きいため、それに比較して、自分自身の活動成果がとても小さく感じられたのでしょう。
そんなことはありません。その証拠に、さまざまな制約の中で一定の成果をまとめあげたのだし、そのファイナルレポートのプレゼンテーションにも、『とても示唆に富んだ結果である』、『大変よい仕事である』というコメントが寄せられたのです。しかも、報告の最後には、後悔ではなく、異口同音に建設的な提言がなされたのですから。
報告会の終わりには、渡辺次長から『大変お疲れ様でした。今夜はフィリピン最後の夜ですが、市内で銃撃騒ぎがあったようなので、くれぐれも気をつけてください。明日は、よい思い出を持ってお帰りください』とのお言葉を頂戴し、全員揃って、『お世話になりました!』のごあいさつを申し上げ、事務所を後にしました。
フィリピン最後の夜は、やはりフィリピン料理です。ドミトリー近くのビュッフェ形式のレストランで、大いに盛り上がりました。『おいおい、そんなに食べて、大丈夫・・・?』

フィリピン最後の夜
追記:この日、私は、昨日(18日)のセミナー会場で依頼されたとおり、フィリピン水牛センターでミルカー取り扱いに関するセミナーを行いました。フィリピンでは、1982年から国家プロジェクトとして水牛の育種改良(役・肉・乳兼用)に取り組んでおり、もともと1L/日しかなかった乳量が、現在では6L/日に達し、乳価は乳牛の約3倍と、農家所得を向上させる上で有望であるとのこと。
そんな中、実は搾乳方法について、正しい知識がないので、
是非教えてほしいということで、このセミナーを開催したとのことでした。題して『Procedure for Machine Milking to
Prevent Mastitis.』。
水牛の搾乳場で使われているミルカーを用いて、装着と離脱の方法を講義しました。
乳牛の搾乳方法にも多くの課題があることが学生隊員からも指摘されており、まして、搾乳の歴史の浅い水牛ですので取り扱いや保守方法に多くの基本的な欠陥が確認されました(ユニットの遮断バルブが動かない、装着時のミルクチューブのカットオフをしていないなど)。解説と実際のユニットを使った実習は、大変有意義であるとのお言葉をいただきながら、水牛ミルクのヨーグルトを頂戴しました。
報告:木田(引率教員)
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