現代の高泌乳牛の健康医科学と新しい生殖技術の構築

 

研究室 生殖科学研究分野
Lab for Reproduction Science
事業推進担当者 宮本 明夫(Akio Miyamoto),手塚 雅文(Masahumi Tetsuka),松井 基純(Motozumi Matsui)
木田 克弥(Katsuya Kida),左  久(Hisashi Hidari),清水  隆(Takashi Shimizu)

 

研究要旨

   

 乳牛は人類が家畜化を進めてきた結果,出産直後から 乳を大量に出し続けると同時に,まもなく再び妊娠して 子宮内で胎児を育てながら泌乳し続けるという,極めて 特殊な生殖生理的環境で生育している。このことが母体 に多大な負荷を与え,出産後には,母体は感染症を含む 多様な疾病に侵されることが多い。結果として,酪農家 の経済的損失の7割以上がいわゆる周産期病に関係して いる。本研究プロジェクトでは,基礎的な栄養・生殖内 分泌学の検証の上に21世紀を生き抜く高泌乳牛の目指 すべき育種戦略を提示すると同時に,繁殖飼養に関する 群管理システムの構築を進めた。一方,十分な条件で飼 養管理されたウシの卵巣機能の潜在能力を最大限に生か した新しい生殖技術の開発を目指した。本プロジェクト では,1)北海道の多頭数の高泌乳牛について,詳細な 生理学的解析を我が国で初めておこない,分娩後の急激 な乳生産の増加(output)を食餌(input)で補いきれず, 乳生産のための無理な代謝をおこなうので肝機能に過大 な負荷がかかり,インスリン様成長因子を始めとする代 謝因子の分泌が抑制され,それが生殖機能の回復を阻害 することを立証した。さらに,乳牛の卵巣機能について, 卵胞が2つ選抜され排卵に至る現象と,妊娠ホルモンを 分泌する黄体が妊娠不成立の際に退行する直前に劇的に 血流増加が起きるという生殖生理学上極めて重要な2つ の現象を発見した。

   

高泌乳牛の健康医科学:泌乳特性と分娩後の栄養代謝状態・繁殖性の解析

 近年,乳牛の高泌乳化の一方で,繁殖性の低下が進ん でおり,酪農家にとって厳しい経済損失に直接結びつい ている。本研究では,この問題を改善する足掛かりとし て,高泌乳牛の卵巣機能と栄養代謝および泌乳の関連性 を分娩前後の乳牛を対象に,我が国で初めて生理学的視 点を中心にして調査した。分娩後最初の主席卵胞が排卵 した牛は,排卵しなかった牛に比べて,分娩後の卵巣機 能回復や受胎性が良好であり,ピークまでの乳量の増加 が緩やかであることが示され,泌乳と卵巣機能の関係が 初めて統計学的に証明された。この分娩直後の特別な時 期の排卵に影響する要因は,主席卵胞の直径や血流供給 ではなく,栄養代謝ホルモン動態であり,排卵した牛の 肝臓から分泌された血中インスリン様成長因子-I (IGF-1) 濃度は主席卵胞の発育期に高く,分娩後の負のエネルギ ー状態による低下はその後にみられた。さらにその後の 卵胞から分泌されたエストラジオールのピークとともに インスリン濃度の上昇がみられ,卵胞成熟・排卵へと導 いた。一方,排卵しなかった牛にはこれらの現象はみら れなかった。本研究成果は,高泌乳牛において,分娩後 最初の主席卵胞の排卵がその後の早期の卵巣機能回復や 高い繁殖性を引き出す要因であり,この排卵には肝臓で 産生されるIGF-1の強い関与,すなわち乳牛の繁殖性改 善における,肝機能の重要性を明確に示した。さらに, このような牛は乳量増加率が緩やかであることが明らか になった。これらの成果は我が国で初めて,現代の高泌 乳牛の卵巣機能におけるIGF-1の重要性や泌乳との関係 を明確に示したものであり,21世紀の健康で強い高泌乳 牛の育種開発に向けた生理学的な基盤を確立した。

ウシ主席卵胞ダブル選抜モデルの発見とその卵胞発育・排 卵における内分泌環境と卵巣局所血管系の相互作用の解明

 乳牛では,通常1個の主席卵胞が成長し排卵に至るが, 他の10個前後の卵胞は成長途中で競争に敗れ閉鎖してし まう。当グループでは,排卵のスイッチであるLH サー ジに曝される前に主席卵胞を吸引除去すると,引き続い て始まる卵胞波で必ず2個の卵胞が成長し,多くがダブ ル排卵する現象を発見した。外因性のホルモン投与を用 いずに,2個の主席卵胞の発育を誘起したのは世界初で ある。この現象は,単胎動物では必ず1個しか排卵しな いメカニズムを明らかにするための普遍性の極めて高い 基礎モデルになると考えられる。
  この主席卵胞ダブル選抜モデルを利用して,内分泌動 態を解析して発生機構を解明した。その結果,本モデル では,黄体が形成されないため低い基底値の血中プロゲ ステロン濃度を維持し,卵胞選抜前から下垂体性LH パ ルスの活発化を導き,2個の主席卵胞が発育することが 示された。さらに,成長ホルモン(GH)パルス分泌の 解析により,ウシ卵巣から分泌される性ステロイドと GH 間のフィードバック機構の存在が初めて示唆された。 ウシ生体においてカラードップラー超音波画像診断装置 を用いて卵巣の経時的観察をすると,個々の卵胞への血 液供給が卵胞発育と密接に関係していること,排卵およ び黄体形成は血流量の激増を伴うことが視覚情報として 初めて示された(図2)。さらに,ウシ卵胞発育におけ る卵胞血管の構造的変化と局所分泌機構における新規の 血管新生制御因子であるアンジオポエチン-Tie システム の関与が明らかとなった。以上より,ウシ卵胞発育およ び排卵が,内分泌動態と密接に連携した局所での血流変 動および血管新生による卵胞血管系の相互作用により調 節されていることが示された。

ウシ黄体の生と死:血管機能と血管新生・退縮による制御機構

 ウシが妊娠するためには,排卵後,妊娠ホルモンであ るプロゲステロンを分泌する黄体が速やかに形成される ことが必要不可欠である。一方,妊娠が不成立の場合, 黄体は速やかに退行し,次の排卵の機会をつくる。この 黄体退行の局所調節機構について当グループでは,黄体 内の急激な血流増加の後に退行カスケードが開始し,こ の制御に血管作動生物質群が深く関わっていることを発 見した(図3)。
  これらの知見は,今後,黄体が速やかに完全に退行す るための条件を決定する上で重要な情報となる。局所の 血流が急激に増加することは,黄体を取り囲む比較的大 型の平滑筋を備えた血管が,一酸化窒素(NO)の作用 で弛緩して引き起こされることが考えられた。詳細な解 析をおこなったところ,黄体退行時に子宮から放出され るプロスタグランジンF2α(PG)あるいは,投与した PG は,黄体周辺部においてだけ大型血管で発現する NO 合成酵素を増加させ,迅速に弛緩し血流が一時的に 激増することが明らかになった。その後,黄体内部を中 心に血管収縮因子であるエンドセリンやアンギオテンシ ンの局所分泌が始まり,一転して血管は収縮し,黄体組 織の死が進むという一連のカスケードが示された。一連 の黄体の生と死の血管機能と血管新生・退縮による迅速 な大型組織の構築と崩壊は,癌組織の制御機構の情報と しても貴重であり,生理的環境下での研究モデルとして 位置づけられる。今後,妊娠を確実にする「死なない黄 体」の産出に向けた分子生理学的な展開に入る。

発表論文

著者名
論文タイトル
掲載雑誌
ページ
発行年
Hayashi KG, Acosta TJ, Tetsuka M, Berisha B, Matsui M, Schams D, Ohtani M and Miyamoto A. Involvement of angiopoietin-Tie system in bovine follicular development and atresia: mRNA expression in theca interna and effect on steroid secretion. Biol Reprod 69(6) 2078-2084 2003
Ohtani M, Takase S, Wijayagunawardane MPB, Tetsuka M and Miyamoto A. Local interaction of prostaglandin F2α with endothelin-1 and tumor necrosis factor-α on the release of progesterone and oxytocin in ovine corpora lutea in vivo: a possible implication for a luteolytic cascade. Reproduction 127(1) 117-124 2004
Shirasuna K., Asaoka H, Acosta TJ, Wijayagunawardane MPB, Ohtani M, Hayashi M, Matsui M and Miyamoto A. Real-time relationship in intraluteal release among prostaglandin F2α, endothelin-1, and angiotensin II during spontaneous luteolysis in the cow. Biol Reprod 71(5) 1706-1711 2004
Miyamoto A, Shirasuna K, Wijayagunawardane MPB, Hayashi M, Yamamoto D, Matsui M, Acosta TJ. Blood flow: A key regulatory component of corpus luteum function in the cow. Domest Anim Endocrinol 29(2) 329-339 2005
Kawashima C, Fukihara S, Maeda M, Kaneko E, Montoya CA, Matsui M, Shimizu T, Matsunaga N, Kida K, Miyake YI, Schams D, Miyamoto A. Relationship between metabolic hormones and ovulation of dominant follicle during the first follicular wave postpartum in high-producing dairy cows. Reproduction 133 155-163 2007
分娩後最初の主席卵胞が排卵する牛のホルモン動態と泌乳特性の模式図
図1
分娩後の繁殖性が良好な高泌乳牛は、分娩後早期に排卵が確認される。このような牛は、ピークに向けての乳量増加率が緩やかであり、この特別な時期の排卵には肝臓からのIGF-1とすい臓からのインスリンが重要な役割を担っている。
ウシ主席卵胞ダブル選抜モデルとその卵胞発育・排卵における内分泌環境と卵巣局所血管系の相互作用
図2
通常のウシでは主席卵胞が1個だけ選抜され排卵に至る。主席卵胞ダブル選抜モデルでは、黄体不形成による低い基底値の血中プロゲステロン濃度下でゴナドトロピン分泌が変化し、2個の主席卵胞が選抜され排卵する。主席卵胞は活発な血管新生により血液が優先的に供給される一方で、選抜されなかった閉鎖卵胞は血管が退行し血流が消失する。排卵直前の卵胞では血流の劇的な増加が観察される。
ウシ卵巣内での黄体の退行時(Day 17)に起きる黄体周辺部の血流増加現象
図3
カラードップラー超音波画像診断装置(ALOKA-5500)を用い、経直腸越しに観察した卵巣・黄体画像。発情日をDay 0とし、図の左から、Day 10, 14, 17, 19, 21の黄体画像を示している。赤色の部分が、黄体の周辺を取り囲んでいる血管の血流像(流速2mm/秒以上)・血流面積を示している。発情周期を通して黄体を観察することで、Day 10、14では血流面積は一定に推移し、黄体退行開始直前のDay 17で急激に増加し、その後徐々に減少することを発見した。