欲望と規範の生物学

序論 幸福について考える

98年度 生物学概論
第11,12講 講義ノート


われ70にして、己の欲するところにしたがいて規(のり)を越えず
孔子

人間は独りでは不完全な、あるものである。幸福になるには、第二人者を見つけなければならない

パスカル:愛の情念について(17世紀中頃)

社会本能は、幼い動物が両親と長いこと一緒に暮らすことによって進化してきたのだろう。だから、社会生活によって感じられる歓びはおそらく親の愛情や子どもの愛情の延長なのだ。この延長は一部は習得によるものだが、基本的には自然淘汰によって備わったものと思われる。(p.88)

当座の欲望や情熱によって社会本能がを打ちのめされると、人間は後から反省して、過去の衝動にまつわる、今となっては弱められている印象を、常に抱き続けている社会本能と比較する。こうして、満たされることのなかった本能のすべてが残すこととなった不満感を味わうから、今後はそうはすまいと決意する。これが良心なのである。どのようなものであれ、他の本能よりいつも強いかより持続性の高い本能は、この本能のの方にしたがうべきである、と(人間なら)言い表すような感情を生む。ポインター犬が過去の行為を反省することができるなら、次のように自分に言い聞かせるだろう。私は、あのウサギの位置を教えるべきだったのであり、狩猟したいという一過的な誘惑に屈服すべきではなかったのだ、と。(p.525)。

ダーウィン(人間の由来 及び性に関係した淘汰 1871)

本能的機能の連関が乱れることこそ、理性に反する行為の原因なのである。自由を求める衝動によって、私たちは(内的)道徳律以外のものに服従することを嫌う。

ローレンツ (攻撃 1963)
はじめに

人生の目的は幸福の追求です。これに異論を唱えることはできないでしょう。問題は、個々人にとって「幸福とは何か」ということです。「幸福とは何か」つまり「幸福観」は自覚されている場合もありますし無自覚的な場合もあります。しかし、どちらの場合にも幸福観は個々人の行動規範や価値観を強く規定することを通じて、具体的行動(ここでは理性的行為)の基本原理になっています。

もちろん、現実の具体的行動の中には社会本能などに由来する衝動的行動が含まれていて、この場合には幸福追求の「意図性」を認めることはできません。ですが、現実の社会は、社会本能を抑圧する方向、つまり愛情的人間関係の希薄化の方向に動いて来ていますから、社会本能の重要性を意図化する必要が出て来ているといってよいでしょう。

  • 幸福観と価値観は相互規定関係にあるといった方が正確かもしれませんが。

  • 幸福観は知的イメージ(知情意の知)であるのに対し、幸福感は情的イメージ(知情意の情)であることに注意して下さい。

  • とんでもない幸福観を抱くと、どのようにあがいても人間は幸福感を得ることはできません。

    • 幸福観は、ふつう、時代の風潮の一つです。例えば、戦後日本は、国家としても個人としても「金持になること」「便利な生活を送ること」などの追求が支配的な幸福観となっています。これは、基本的には国家のリーダーたち(企業家、官僚、政治家たち)の思惑(理念)に沿ったものとなっています。時代の風潮は、一つには見えざる権力による(非意図的)思想誘導といえなくもない、ということができるのでしょう。これとは別に、新興宗教などによる意図的な思想誘導もあります。個々人の幸福にとって大切なことは、時代風潮などに流されることなく、自己の幸福観を冷静に建設することにある、と私は考えます。

生物学は人間の本性やその歴史的起源及び個体発生的起源などを明らかにすることが、少なくとも原理的には可能です。幸福観は人間本性と密接に関係していますから、幸福観のあるべき姿を生物学的に理解することも不可能ではないでしょう。本ページでは、その、私なりの試みの一端を紹介したいと思います。

  • 「幸福観のあるべき姿」の解明は、個々人にこの「あるべき姿の幸福観」を強要するものではありません。個々人がどのような幸福観を抱くか、それは全く個人の自由に帰属する問題です。

  • 個々人は、どのような幸福観を抱くと幸福感を得やすいか、或いは、幸福になり易いのか、という問題なのです。幸福を得る為にふさわしい幸福観の探求と言ってもよいでしょう。

      目次

      己の欲するところにしたがいて規を越えず

        欲望と内的規範の間の矛盾・葛藤という社会性動物の基本的属性を説明します。

      生理的欲望の追求

      精神的欲望の追求

        @利己的欲望と利他性と自然共感本能と
          三つの基本的本能を心理メカニズムの側面でのみ定義します。利他性(社会本能)は愛と共感が基礎になっています。つまり、他者の満足を通じてのみ得られる満足を求める感情です。

        A良心と「悔いのない人生」
        • 自由な人格とは、行動を内的規範(良心)によって制御する個人のことです。
        • 人間本能は他律的行動規制を最も嫌います。
        • 恥や罪悪感によって「後悔しない人生をおくる」ことは、幸福の必要条件の一つでしょう。
        • 他律的人格は服従的人格(理想的兵卒;奴隷)ですが、良心の呵責に悩むことからは救われています。理想的兵卒になりきることのできる(自尊心の弱い)人格には、他律的人生が幸福かもしれませんね。

        B利己的欲望の例
        C社会共感本能とその発生要因
          社会共感本能の歴史発生的要因と個体発生的要因について考察します。
          (1)母性愛;子守り本能
          • 愛は守る・育てるという行動の源泉です。
          • 母性愛と子供の愛情が、哺乳類全般のすべての愛の歴史発生的・個体発生的な源泉になっていることは明らかでしょう。母と子の絆は、群れが進化する以前から哺乳類的ノームなのです。
          • 人間は男女の区別なく、幼児のころから、年少の子、動物、人形などを可愛がります。
          (2)父性愛、異性愛
          • @霊長類における群れの進化とネオテニー進化と育児負担の強化 A父系的な群れ B家族愛
          • ネオテニー的進化による育児負担の強化が、非繁殖季における雄によるなわばり侵入に対する雌の許容をもたらしたものと思われます。
          • 人類は父系的な一夫多妻性から一夫一妻性(または乱婚制)へ進化しているのだろうか。
          • 人類は核家族を群れの単位とするような淘汰圧を受けてきたのだろう。
          (3)帰属意識、共感本能、友情、協力精神、団結心、、、子守り本能、、。
          • 群れは個体としての生命サイクルの協同的実現のメカニズムですから、群れの目的(基本的機能)は育児にあります。
          • 非血縁的友好協力関係の由来: 愛や共感の相手は、血縁認知的なメカニズムというより、インプリンティングなどの「共感」体験を媒介としているように思われます。犬による主人認知はそのよい例です。
          • 社会的孤立や屈辱は人間にとって絶対的恐怖です。
          • 群れの内には暖かく外には冷たい社会本能
          • 孤独と屈辱を強める現代的生活

        D幸福の最低要件
          ははははっは。最低要件を満たすと実は至福の極楽です。

己の欲するところにしたがいて規を越えず

欲望が枯渇した状態は「生きる意欲」そのものを喪失した状態ですから、人間が求めるべき状態ではありません。

欲望に沿って行動しているだけなのに、内なる道徳律(価値観)(行動規範)(を、規という言葉で孔子が指しているのかどうか知りませんが)に完全にしたがっている状態は、確かに、幸福感を満喫できている状態でしょう。

  • 欲望追求とその達成の二つによって得られる満足感がまずあります。かつ、内なる道徳律にしたがっているので、その満足感が罪悪感によって弱められることもありません。もし、それが社会的規範にも沿っているなら、社会的トラブルに巻き込まれることもないので、満足感は全面的と言えるでしょう。

  • したがって、あるべき幸福観を建設する為には、どのような欲望とどのような行動規範(価値基準)を抱くべきか、という問題に答える必要があります。


生理的欲望の追求

@生理的欲求と精神的欲望

人間の欲望は、生理的欲求(人体生理学的欲求)と精神的欲望に分けることができます。

  • 喉が渇いた、腹が減ったという生理状態は、ふつう、自覚的に意識されます。

  • 時間的、経済的、または精神的余裕がない時、とりあえず水を飲んでおくとか、とりあえず腹をふさぐとかして凌ぐことになりますが、これが生理的欲望の処理にあたります。

  • ところが、ジュースを飲むか、ビールを飲むか、おいしい水を飲むか、の選択は、喉が渇いたという生理的欲求状態を、精神的欲望として処理することに相当します。グルメ欲は精神的欲望ですが、純粋な食欲は生理的欲求です。

  • 生理的欲求は満足を知っています。視床下部の満腹中枢が刺激されれば、空腹感は止むのです。つまり、ネガティブフィードバック的に自動調節されていますから、これを理性的に抑制する合理的根拠は一つもありません。むしろ、この調節機構の変調は自律神経失調症ですから忌々しき事態なのです。

  • 人間はただ生きているという状態を持続するためだけにも食欲や睡眠欲、飲水浴や性欲をおぼえます。これは視床下部や脳幹の働きです。ここで、例えばグルメ欲はここでいう食欲とは本質的に異なるという点に注意してください。人体生理的な欠乏(視床下部の空腹中枢の興奮状態)に由来する「空腹感」に由来するものが食欲であって、「美味しいものを食べたい」というグルメ欲は大脳辺縁系や新皮質に由来する精神的な欲望だからです。

      全く同じことは性欲についても言えます。人間が普通に自覚できる「性欲」は精神的欲望ですが、視床下部的な生理的性欲は、それ自体として自覚できる性格のものではないでしょう。しかし、例えば、若い男でしたら、夢精したという非意図的行動の事実によって生理的性欲の欠乏感の存在を認識することができる、というような性格のものです。

  • 生理的欲望は自己維持と自己増殖の基本ですから、組成的な個人差はない筈です。ただ、各種の生理的欲望各々の強度や相対的バランスなどは基本的に遺伝的に決められた個人差があると考えてよいでしょう(もちろん、生後の体験を通じて変容するはずですが)。こうした生理的欲望の充足は、生の持続(生命サイクルの位相進行)にとって必要不可欠です。しかし、人間の幸福感にとっては必要不可欠であるとはいえないかもしれない、といえるほどに、人間の幸福は精神的欲望の満足に強く依存しています。例えば、自殺は生理的欲望に真っ向から対立していますが、自殺者にとっては最後の精神的満足を希求した行為となっています。

  • もちろん、生理的欲望の充足は健全な肉体の維持にとって不可欠であり、辺縁系や新皮質に対する「充足の指令」を発することを通じて、精神の安定状態を維持するであろうことは容易に想像がつくことである。一方、生理的欲望における欠乏感は「不満の指令」を発することによって、精神に対する強力なストレス因子になりうるものと思われる。

A意識化されない生理的不満

ところが困ったことに、現代では、意識化されない生理的不満が鬱積しているものと想像されます。渇水感とか空腹感というのは、生存に直結しますから、それを意識化する神経回路が備わっています。視床下部の不満信号が「意識」のはたらきをする新皮質へ伝わるのでしょう。

意識化されない生理的不満の代表は「時間の流れ」に関係します。

  • 現代先進諸国の人々が、潜在意識として抱く、自覚のできない「生理的欲望における欠乏感」の一つとして、精神的時間のテンポと生理的時間のテンポ(生活テンポ)との衝突が考えられます。

  • 精神的時間は「社会の流れの速さ」や「忙しさ」に順応しようと努めますが、生理的時間(ここでは特に神経活動のテンポですが)は変えるにも変えられない類のものです。

  • 現代人が「時間におわれた」ように生活しているようにみえるのは、この衝突のためなのでしょう。このことを各人が自覚することはできませんが、現代人の強いストレス因子になっていることは間違いないと思われます。巨大な現代という歯車の駒に汲み取られてしまった不自由さです。急速な社会の「進歩」と高度な技術化が進めば進むほどこのストレス因子が強くなるのでしょう。

もう一つは、生物時計の不調ですが、これは先例よりかなり実証的です。現代先進諸国人の約30%前後は多かれ少なかれ時差ぼけ症候群(夜勤症候群、交代制勤務症候群)に悩まされているといわれます。不眠症も生物時計の不調による場合が多いし、鬱病なども生物時計の不調によるものが多くあります。

哺乳類は一般に視床下部の一部である視交叉上核に生物時計(概日時計)をもち、昼夜の明暗サイクルにあわせた生活を営みます。現代社会は、この自然的生活を改変することによって、生物時計病をつくり出したといえるのです。


精神的欲望の追求

@利己的欲望と利他性と自然共感本能と

A良心と「悔いのない人生」

  • 良心の呵責を感じない人間は本当の極悪人しかいません。良心は悪を恥じる心ですから、行動規範が自律的な人ほど良心は強い、といえるでしょう。

      親子の愛情を含めた社会本能を明瞭に備えた動物なら、知能が人間と同程度またはそれに近い程度にまで発達した段階で、不可避的にモラル感や良心などを獲得するに違いない。

      ・・・母性愛のような強くもあり一般的に賞賛されているような本能に背いた場合には、この不従順の原因についての印象が薄れると、最も深い悲痛を招くことになってしまうと考えるのが妥当である。(p.97)

      社会本能と衝突しない限り、つまり他者の幸福をわずらわさない限り、誰も安心して自分の欲望を満足させてよいということは明らかだ。だが、自責、または少なくとも不安を全く感じないでいる為には、仲間からの非難(正当性があろうとなかろうと)を回避しなければならない。・・・(p.98)

      ダーウィン(人間の由来 及び性に関係した淘汰 1871)

    • 行動規範が他律的な人ほど、良心の呵責よりも他者による非難を避けることに重点が置かれています。したがって、世間のモラルが乱れている状況のもとでは、「他者もやってることだから、私がしてなにが悪い」という正当化を行う傾向が強くなります。こうして、良心の呵責から免れ、心の安静を保つのです。

  • 利己的欲望に負けて社会共感本能に違反した時、人間は恥を感じ後悔します。したがって、悔いのない人生すなわち幸福な人生とは、社会共感本能に随うことを基本的な前提としつつ、利己的欲望を追求する人生のことなのでしょう。己の欲するところにしたがいて規を越えずという境地の追求が大切である、ということです。

  • 内面の行動規範を社会共感本能に沿って構築することが幸福な人生の為には必須であるということになります。

    • ただし、自分の行動規範が社会としての(外的な)行動規範と矛盾するような場合には、三つの可能性があります。第一は隠居・遁世する。第二に、社会的な行動規範との妥協点を見つけながら自分の行動規範を修正する。第三に、妥協点を見つけることは同じですが(でないと、心の安静は得られない)、社会的な行動規範の方を修正するよう「反逆」する。

      • 冒頭のローレンツ(攻撃、1963)の言葉をもう一度引用しておきます。

          本能的機能の連関が乱れることこそ、理性に反する行為の原因なのである。自由を求める衝動によって、私たちは(内的)道徳律以外のものに服従することを嫌う。

      • 小学校から高校まで、吹き出してしまうような校則とかえげつなさ過ぎる校則が余りにも多いように思われます。したがって、生徒が不満を持つというのは極めて妥当なことです。この場合、生徒自身には(未熟ながらも? 立派な)内的規範があって、校則(外敵規範)と衝突しているわけです。

  • 一国民の九割強は一生良心をもたぬものである  芥川(侏儒の言葉)

    • 良心はパーソナリティを構成する五つの構成要素の一つです。その個人差の約60%は遺伝的に決まっていると考えられています。

    • いずれにせよ、良心が全くないというのは極悪人の場合にしかありえません。良心の弱い人ほど他律規範的に判断する傾向が強い、ということでしょう。

    Moral volition: the fifth and final domain leading to an integrated theory of conscience understanding. J Am Acad Child Adolesc Psychiatry 37(2):202-10, 1998

B利己的欲望の例

(1)排他欲(なわばり欲望);攻撃本能

    精神的欲望の中では最も原始的な(起源の古い)欲望であると思われます。

    個体維持における「瞬間的事象」の完結欲望、と言ってもよいかもしれません。生命サイクル進行の個々の局面の完結が無ければ、生命サイクルは停止してしまいますから、この局面的完結は生命サイクルにおいては最も根幹的な過程です。したがって、これを完結させる為の行動メカニズム(欲望はその一つ)が動物行動の根幹として進化してきたとしても不思議ではありません。

    • 生活資源に対する所有欲や独占欲は比較的穏やかな欲望でしょう。なわばり防衛欲は進入者に対する攻撃欲となります。自己防衛本能は、生命の危機に直面した時、強烈な攻撃欲に転化するでしょう。

    • 自己顕示欲もなわばり誇示行動に関連した欲望でしょう。

  • 攻撃本能とセロトニン

    Heredity and role of serotonin in aggressive impulsive behavior
    Encephale 1998 Jul-Aug;24(4):355-64

    • 攻撃衝動制御の障害は、セロトニンと連動した衝動制御の障害に関係しているらしい。セロトニンは、衝動的行動に抑制的に働くのだが、個々人が衝動を制御する方法こそ心理生物学的なパーソナリティ次元の基本となっているのである。

    • セロトニン伝達に関係する幾つかの重要な蛋白質をコードする遺伝子が、衝動的攻撃行動資質の個人差に応じた形での多型性を示すデータもあるという。

(2)向上欲、勝負欲(競争欲)、名声欲、権勢欲、虚勢欲、、、

    こうした欲望の歴史的起源は、人類が霊長類の順位制社会の歴史の中から誕生してきたことにあります。高順位個体ほど適応度が高いとしたら、高順位になる為のメカニズムを強化するような淘汰圧がかかるからです。

    以上のうち、名声欲、権勢欲、虚勢欲、勝負欲(競争欲)、、、などの欲望は他者を犠牲にする可能性の強い欲望、つまり利己的行動に導く欲望です。

    これに対し、向上欲がなくなると人間はデカダンスに埋没する危険性があります。個々人の向上努力は社会活力の基本的源泉でもあり、したがって利他的行動に導くような利己的欲望です。

    勝負欲(競争欲)も健全に発揚されれば社会活力を与えます。

      死の十日前のインタビューでマリリン・モンローは語っている。「名声はいずれ去っていくわ。さよなら、名声。私はあなたを自分のものにしたの。・・・でも、そこは私が生きる処ではなかったのよ。」(99年2月7日付朝日新聞記事より改変)

(3)快楽欲、快適欲、遊び

    気持ちよい状態、心地よい状態を望まぬ人はいないでしょう。日常生活の些細なことから肉欲やスキンシップ欲など、さまざまな形態をとりますが、基本的に、動物としての生理的欲求にとても近い精神的欲望です。苦痛との対極にあるのが快楽や快適感ですから、上記(1)で述べた本性に近い、と言えます。

    しかし、人間は快楽感や快適感をそれ自体として求めます。この点に他の哺乳類には見られない顕著な特性があるものと思われます。大人の遊び(に対する欲望)も全く同根なのでしょう。

    現代の環境問題の基本的源泉の一つは、大量生産されたモノが人々の快適欲を満たすという点にあります。金銭欲は(さまざまな目的が絡み合った)複合的な欲望ですが、その最もプリミティブな形は「快適な暮らしがしたい」と言う素朴願望でしょう。

    • モノの助けを借りなければできないことはたくさんあり、その意味では確かに暮らしは快適で便利になりました。中でも主婦の家事負担を軽減したことは歴史的な出来事であろうと思われます。 しかし、モノの助けを借りることによって失ったものが少なくとも三つあります。

        (1)直接的人間関係(愛)の希薄化
        (2)モノに対する依存性の強化(つまり、恒常的な貧乏状態)
        (3)人間的な自然環境の劣化

  • かなり「高級な」欲望に属するかもしれない金銭欲(蓄財欲)は、「カネの効用」を知らなければ、したがって知性がなければ沸き上がりようのない欲望です。カネをためて「ああしよう、こうしよう」と知的な想像を巡らして、蓄財に励むことになるのです。しかし、金銭欲を生む源泉は、権勢欲であったり、色欲(多数の女を所有したいという「野心」)であったり、快楽欲(安定した暮らしを求めるこころ)であったり、、、と、本来、知性とは無縁の本能的欲望です。

(4)探求心

    知的好奇心を始め人間はさまざまな探求欲望を持っています。基礎学問の基本的な心理メカニズムはこの探求心です。

    その歴史的起源の本源は「餌の探索」でしょう。植物食の霊長類は葉食者と果実食者に大別できますが、人類は明らかに果実食者の系統です。果実のありかは探すことによって始めて見つかります。果実食者は葉食者に比べるとサイズの割に大脳は大きく、サイズの割に生命サイクルテンポは遅いのです(→ 霊長類の生命サイクルテンポに対する淘汰圧)

    もちろん、群れを成す霊長類各個体は群れ内部での社会関係を生き抜く必要があります。この社会関係を生き抜くには、他者の心理、動向を読み取ることが必要であり、その読み取りの動機=探索心が必須となります。したがって、知能や探求心に対する淘汰圧がかかるのは当然です。

    スキャンダル週刊誌が流行る要因の一つは、スキャンダル以外に探求心を満たせぬ人々がたくさんいる、ということなのでしょう。

    NOVELTY SEEKING PERSONALITY TRAIT

    • Cloninger et al. 1993によると、新奇探索形質 novelty seeking traits の個人差は、ドーパミン伝達の遺伝的変異に関係している。新奇探索度テストの値が平均値以上の人は、衝動的で、探索的で、気紛れ(飽きっぽい)で、激しやすく(興奮性)、短気で外向的、と特徴づけられるのに対し、平均値以下の人は、思慮深く(内省的で)、固く、忠実で(誠実で、高潔で) loyal、冷静で stoic、短気でなくslow-tempered, 質素である、という特徴を持つ。

    • Benjamin et al. (1996)によると、ドーパミン受容体D4(DRD4)遺伝子が新奇性探索形質に因果的に関係していることは次の事実によって支持される。すなわち、DRD4の exon 3 反復の数は、ドーパミンの受容体に対する結合性を左右する;DRD4遺伝子は認知や感情に関係する辺縁系で発現する; 実験動物ではドーパミンが探索行動を仲介している; アンフェタミンやコカインの報酬効果はドーパミン放出と関係している; ドーパミン欠如のパーキンソン病患者では新奇性探索が弱い。

      しかし、、、
    • Pogue-Geile et al. (1998)によると、DRD4多型性が新奇性探索形質の個人差に関係している、という結果は再現されなかった。

(5)創作欲

    最も人間らしい欲望の一つでしょう。絵を描いたりモノを作ったり、幼児はひとりでに行うようになります。手が器用でなければ創作欲を実現することができませんから、他の霊長類にも創作欲はあるかもしれません。しかし、大抵の人は、絵を描いたりモノを作ったりしなくても欲求不満には陥りませんから、やはり、歴史の浅い欲望なのでしょう。

  • 創造的思考について

      Creative, paranormal, and delusional thought: a consequence of right hemisphere semantic activation? Neuropsychiatry Neuropsychol Behav Neurol 1998 Oct;11(4):177-83

      • 左脳の言語優位性が弱いと分裂症的傾向が高い。この優位性の欠陥は、重度の精神病患者に普通に観察されることだが、超常的で妄想的なアイデアの出現を促進するのだろう。

      • この促進は、多分、右脳の結合的処理過程を通じて、つまり、焦点の合った意味論的なプロセスの活性化というよりは粗雑な処理過程を通じて行われるのだろう。

      • (右脳の)焦点の合わない意味論的処理過程は創造的思考の特徴でもあるから、右脳の意味論的システムの使用には進化的な淘汰利益があるものと思われる。このため、分裂病には明らかな進化的不利があるにもかかわらず、この分裂症的な素因が拡大したのであろうと思われる。

    • 思考は知識の論理的組換え過程である

(6)美的欲望(完成欲)

    美しさそのものを求める欲望です。創作欲と結びつけば作品の美的水準の向上を求めることになります。その他、日常生活におけるさまざまな装飾は美を求める願望に由来してる部分が大きいでしょう。極めて人間特異的な欲望ですね。

C社会共感本能の例

(1)母性愛;子守り本能

    • 愛はその他の感情と同じくそれ自体としては欲望ではありません。

      • 欲望は「行動の動機」となる積極性(能動性)を持っていますから「運動神経」に直結した心的イメージです。これに対し、感情は受動的であり、知覚神経や感覚神経と連動しています。

    • 愛そのものは欲望ではありませんが、愛の交歓の有無・強弱に応じた不満感・満足感が生まれます。明らかに、「愛したい」「愛されたい」という強い潜在願望と連結しています。

  • 母性愛は母親が幼児やそれに類した他人を可愛いと感ずる感情です。母性愛に直結した欲望としては、適当な言葉が見当たらないのですが、仮に子守り本能と呼んでおきます。子守りされる相手の歓びを歓ぶ(求める)欲望ですから、利他的な欲望と言えます。群れ生活に伴う愛情の源泉は歴史的にも個体発生的にもこの母性愛にあることはダーウィンの指摘した通りでしょう。

    • 人間の場合、母性愛に類した感情は男にも幼児にも(程度の個人差はあるにしても)備わっています。人形を可愛がる、年少の子を可愛く思い可愛がる、動物を可愛がる・・・など。

    • なわばり生活から出発した原始霊長類の「ヒトの祖先」(夜行性単独生活者の原猿)が、共感的・融和的な個体関係をもったのは二つの場合に限られていた、と思われます。一つは母子関係で、もう一つは、特定の繁殖季にのみ発現する発情期における雌雄関係です。こうした関係をもつ時には、明らかに個体の排他性は緩和されています。

    単独生活者の要素的社会の模式図(伊谷「霊長類社会の進化」より)

    Social Organization
    in Introduction to Primates

  • 適応度は「次代に残す繁殖可能な子孫数の遺伝的期待値」です。我が子を上手に育てるほど、他の条件が同じなら、我が子が繁殖可能な状態にまで成熟する機会を増やすことになります。また、他の条件が同じなら、母性愛が強いほど上手に子育てができます。このため、母性愛の強弱に対して自然淘汰がはたらくことになります。

  • 一方、母性愛に応える子どもの側には依存願望(庇護願望、甘え)が発生します。これは、利己的欲望に分類した方がよいでしょう。

    • この甘え願望そのものは(甘えたいという気持ちが自己の満足を求めていて、他者(母)の満足を通じて得られる満足を得るような願望ではないという意味で)利己的欲望です。しかし同時に、甘え「行動」は例外なく母(または保護者)の満足を誘発しますし、母性愛を高める作用ももつということによって他者(母)の進化的利益を高める行動、つまり利他的行動となっていることは面白い点です(ただし、本ページの主題は「行動」ではありません)。

  • しかも、この利己的な甘え願望に密接に関係している利他的な欲望があります。つまり、親の笑顔を歓ぶ感情、親の笑顔を得たいという願望です。成長するにつれ、この感情は、親の期待に沿いたいという欲望として自覚化される場合もあるでしょう。「よい子」ほどこれに苦しむことになるわけです。

  • 母親側からすれば我が子の甘え願望や「よい子」願望があるからこそ母性愛も発揮できるし、高めることもできます。母子間の相思相愛は、相思相愛という言葉が示すように、相互依存的なのです。「よい子」願望にしても母性愛にしても、その満足度は相手方の満足度に強く依存しているという点で利他的欲望と言えるのです。

    • いずれにせよ、排他性を緩和させることによって発生する愛情関係の感情は共感的・融和的ですから、それと密接に連動した欲望も双方の愛情を高め合う性質を持っていることに注意して下さい。

    • しかし同時に、愛情関係は(当然のことですが)当事者内部に限定された共感関係であり、外部に対しては疎外的、排他的です・・・場合によっては攻撃的になります。

    • 縄張りの単位が爬虫類的な個体から哺乳類の母子へと変化しただけ、と観ればよいでしょう。縄張り侵入者に対しては身を挺して攻撃する、これが基本です。わが子の安全を脅かす他者に対する(哺乳類)母親の衝動的攻撃を思い浮かべて下さい。このことから、自己防衛と利他愛との関係を表す大脳回路モデルを構想することができます。

(2)父性愛と異性愛

@霊長類における群れの進化とネオテニー進化と育児負担の強化

  • 雌雄の恒常的つながりの始原的形態は、ペア(一夫一妻)型社会(なわばり単位はペア)、単雄群(一夫多妻)型社会(なわばり単位は単雄群)でしょう。

    • 種内における雌雄間にサイズの差があることを性的二型性といいます。性的二型性はペア型社会では殆ど無いのに対し、一夫多妻型社会では顕著です。後者では雄間の競争が熾烈であることを物語っています。

  • どちらの場合にも、個体としての排他性を緩和することを通じてのみ連合が可能であることは明らかでしょう。雌が自分のなわばりに対する雄の侵入を非繁殖季や非発情期にも許容する、ということが絶対的条件になると思われます。つまり、雌による排他性の緩和=雄侵入に対する許容です。

  • この許容を歴史的に推進した要因は霊長類におけるネオテニー的進化でしょう。つまり、進化とともに霊長類はネオテニー(発生遅滞;幼形成熟)を推し進めていきますので(成熟期が遅い)、育児負担はどんどん重くなっていきます。このため、雌は育児負担者として雄を許容したものと思われます(ここで言う「ため」は、歴史的要因を指していることに注意して下さい;心理的動機のことではありません)。事実、現存のペア型社会では雄も「直接的な」育児を行います。なわばり防衛も「間接的な」育児ではありますが。

      川村俊蔵の仮説

      霊長類の生命サイクルテンポに対する淘汰圧

      Retardation and neotony in human evolution

      *** The following(↓) are abstracts from Medline Records

      Evolution of human growth prolongation. Am J Phys Anthropol 107(3):331-50 , 1998

      Paradox of peramorphic paedomorphosis: heterochrony and human evolution.

      Evolution of human growth spurts. Am J Phys Anthropol 101(4):455-74 , 1996

      Socioecology and the ontogeny of sexual size dimorphism in anthropoid primates.

        Am J Phys Anthropol 97(4):339-565, 1995

          37種の類人猿におけるからだの大きさに関する性的二型性について、、、

        • 雄同士の競争が弱い種では発達過程の性差がなく、一夫一妻制の種や一妻多夫制の種が該当した。

        • 複雄複雌の群れをつくる種の場合、サイズの性的二型性は bimaturism (生長期間の性差)によってもたらされる傾向にある。成長速度の方の性差は最小であった。
            雄が生涯を通じて遭遇する危険は安定的(コンスタント)である場合が多い

        • 単雄複雌の群れをつくる種の場合、サイズの性的二型性は生長速度の性差によってもたらされる傾向にあり、生長期間の性差はしばしば限定的なものに過ぎない。
            雄が生涯を通じて遭遇する危険は急激に変化する場合が多い

      Neuroendocrine bases of monogamy. Trends Neurosci 21(2):71-5, 1998

      • 下垂体ペプチドのバゾプレッシンやオキシトシンは、提携、親による世話、なわばり防衛の為の攻撃などを含む複雑な社会行動に中心的に関与していることがたくさんの研究によって示されてきている。

      • 単婚性げっ歯類のプレイリーハタネズミを用いた研究により、これらの神経ペプチドは、ペア形成、父による世話、つれあい保護など、単婚性に関係した行動にも関与しているらしいことが分かった。

      • ハタネズミ類の数種を用いた比較研究によれば、こうした神経ペプチドの受容体の脳における発現様式は種特異的に異なっており、単婚性であるか非単婚性であるかに関係しているように見える。ひょっとしたら、ハタネズミにおける単婚性の進化には、こうした受容体の遺伝子の発現調節の変化が関係しているのかもしれない。

      Ontogeny of body size variation in African apes. Am J Phys Anthropol 99(1):43-65, 1996

      Paedomorphosis and neoteny in the pygmy chimpanzee Science (4623):521-2, 1983

      ***

      Temporal pattern formation by heterochronic genes. Annu Rev Genet 31:611-34, 1997

      ***

      Medline Search for 'human AND (heterochrony OR neoteny OR paedomorphosis)'

A父系的な群れ

  • 哺乳類の群れは基本的に母系的に伝承されていきます。つまり、娘集団が群れを引き継ぎ、息子集団は成長すると群れの外に出て行き、他の群れに帰属することになります。霊長類の多くも母系的な群れを作りますが、類人猿だけは父系的な群れです。

    • 母系的な群れにおいて雄成獣(たち)が息子たちを追い出そうとし、息子たちは出群しようとする、その心理メカニズムが解明されると面白いでしょう。全く同じようなことは父系的な群れについても言えます。

      • どちらの場合にも、結果としては近親相姦が回避されることになります。

    • 母系的な群れでは雌同士の連帯が雄同士の連帯よりも強いだろうし、父系的な群れでは雄同士の連帯が雌同士の連帯より強いでしょう。

      • この傾向性に二つの要因が考えられます。一つは、母系的(または父系的)な群れを成す動物では遺伝的に雌(または雄)同士の関係を強くするような性向をもっているという可能性です。事実、母系的な群れでは雌同士は血縁関係にありますし、父系的な群れでは雄同士が血縁関係にあります。もう一つは、母系的な群れでは雌同士の日常的関係の方が現実に緊密であるという「体験の差」が雌同士の連帯の方を強めるだろう、という要因です。ただし、この二つの要因が混合し、相互増幅的に高めあっているだろうということが、一番もっともらしいと思われます。

  • さて、父系的な群れは、類人猿とヒトにしか認められていません。父系制はこの意味で、極めて新しくまた特殊です。父系的な群れでは、雄が群れの主導権を握っていますから、雄が雌を支配しています。このため、雄は雌より大型になっています(性的二型)。

  • 雄同士の結束は血縁に裏付けられていますから、母系的な複雄群(ニホンザルなど)のそれに比べればずっと強いはずです。ゴリラは一夫多妻制、ボノボは乱婚制、チンパンジーはその中間で、性的二型性もこれに対応しています(ゴリラ>チンプ>ボノボ)。この中でゴリラのみが父性行動を示すのは、生物学的には極めて合理的です。つまり、ゴリラのみが群れ内部のこどもを「確信をもって」我が子と認定できるからです。

    • 雌の移入について雄が選り好みをしているかどうかの観察例は、残念ながらないと思われます。しかし、理論的には、そうしているはずだとはいえるでしょう。少なくとも、群れが頑強な防衛力と採集能力を誇って、すべての雌を養う力があるのでない限りは。おとな雄は父または兄弟です。おとな雌は非血縁者同士で、ここに初めて非血縁同士の雌同士の関係と兄弟関係や父子関係が生まれることになります。おとな雌はこの群れの中で出産し育児をするため、母子関係は健在です。また、非血縁的なおとな雌どうしに雄を巡っての強い対立があるとは思われません。更に、資源の許容限界以上に群れが大きくなることはないものと予想されますから、(危急時を除けば)餌を巡っての対立も深刻にはならないだろうと思われます。雌同士には緩い順位関係があれば十分でしょう。

  • 前頭葉の進化
    The evolution of the frontal lobes: a volumetric analysis based on three-dimensional reconstructions of magnetic resonance scans of human and ape brains.
    J Hum Evol 1997 Apr;32(4):375-88

    • 前頭葉は作業記憶や言語、或いは運動制御などの他にも創造的思考、未来の行動計画、決断、芸術的表現、感情的な振る舞いの諸側面などに機能している。

    • 前頭葉の絶対的なサイズとしてはヒト上科の中では人間が一番大きいが、相対的サイズ(脳に占める割合)でみるとヒト上科のなかでどの種も殆ど同じである。

    • (サンプル数がやや少ないので完璧には結論できないが)ヒト科の進化においては(アフリカの祖先がヒト上科からヒト科に分離して以降)この相対的割合を保ちながら大脳化がすすんだものと思われる。

  • 辺縁系皮質の進化
    Limbic frontal cortex in hominoids: a comparative study of area 13.
    Am J Phys Anthropol 1998 Jun;106(2):129-55

    • 辺縁系前頭皮質は社会的刺激に対する感情反応に関与している。本研究では、その一部として知られてきた13野(前視床下部や視床下部外側に神経連絡する orbitofrontall 皮質{眼窩面}の一部)を人間、チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、オランウータン、とテナガザルで初めて同定し、比較してみた。

    • これらのヒト上科の中で13野の構造的な特徴(皮質層のサイズやニューロン密度、あるいは神経連絡に有効なスペースなど)は殆ど同じであったが、脳全体に占める割合つまり相対的サイズは互いに異なっていた。

    • 人間とボノボの場合、orbitofrontal 皮質は複雑で13野は相対的に小さい。これと対極にあるのがオランウータンで orbitofrontal 皮質は短い代わりに13野は拡張していた。

    • 感情反応や社会行動に関係した皮質領域個々の組織化やサイズの違いがヒト上科各種の行動的特殊性やヒト科における感情の進化に関係している可能性があることになる。

B家族愛: 人間の場合には群れの単位が核家族になっています。約500万年の人類史の中で、恐らく、核家族を析出させるような(核家族内の紐帯(愛)を強めるような)淘汰圧がかかったのでしょう。

  • 人間的核家族の基本は、一夫一妻的な男女間の持続的結合でしょう。異性愛が、相手を独占的に愛したい(相手の浮気に強い嫉妬を感ずる)というほどの強さになっている、と言い換えてもよいでしょう。

    • ただし、結婚の条件が異性愛ではなくさまざまな打算にある、というのも人間的結婚の大きな特徴ですが、こちらの方は、家族制度という社会的問題に対する個人の「処世術」の問題ですから、本ページの主要関心事である人間本性の由来の文脈での「家族」とは問題の性格が基本的に異なります。

  • 性的二型性は現生人類で女が男の80%とかなり縮小していますが、初期人類ほど大きいという証拠があります。このことから、人類は父系的な一夫多妻型「家族」を単位とした群れから出発したと考えられます。そして次第に一夫一妻型の核家族が進化してきたのではないでしょうか。性的二型性が縮小されてきたということは、男女が「腕力」関係から知能関係に移行してきたことを示していると思われます。また、核家族の成立は男女が一対一の関係を築くようになったこと、育児が核家族の責任に任されるような淘汰圧に晒されてきたことも明らかでしょう。

  • 家族愛は融合愛(円環的愛情)であって、親の愛情と子の愛情の単純和ではありません。このことを、クローン人間作成の反対の論拠の一つとした論考の一つが人間の尊厳とクローン人間です。

  • したがって、人類の場合、進化的利益の第一人者は個体(個人)そのものですが、第二に核家族、第三に実質的な群れ=部族=血族、ということになると思われます。この順位の意味は、個体の進化的利益と家族の進化的利益が衝突するような場合には個体の進化的利益の方に優先順位がある、というようなことです。このことは、個人や核家族のメンバーや血族のメンバーの各々における心理的動機としてもそうですし、自然淘汰の局面でもそうでしょう。

    • 例えば、一つの部族内では、結果として(手段や方法はどうであれ)人数を増加させるような核家族の系統が核家族数をも増やしていくことになります。したがって、我が核家族の進化的利益の追求が他の核家族群の進化的利益を損なうことがあっても、部族としては存続していくことになります。もちろん、
(3)帰属意識、共感本能、友情、協力精神、団結心、、、子守り本能、、。

@群れの目的は育児にあります

  • ここでは性に関係しない社会本能を列挙してみました。このうち、子守り本能については長幼の関係であるという点で特異であり、母性愛に直結した本能として既に述べました。ここでも述べる理由は、育児が群れ動物の社会(群れ)の基本的機能であるからです。群れの機能としては、その他に、「群れとしてのなわばり」防衛、天敵に対する共同防衛、餌の共同確保・共同狩猟(採集)などが区別されますが、群れは個体としての生命サイクルの協同的実現のメカニズムであることに注意するならば、その機能の基本が子どもを共同して残すことにあることは明白です。

    • つまり、さまざまな防衛や餌の共同採取などの協力関係は、群れメンバーの子どもを次代に繋げるための手段として機能しているのに対し、その逆の関係{育児が、防衛や採取の為の手段として機能しているということ}はありえないのです。

    • 母親以外による育児本能は人間以外の動物にも見られることです。人間による事例から明らかなことは、過保護に育てられたり、受験競争に明け暮れたりするような利己的な幼児体験を行えば、育児本能も抑制されるだろう、という点です。

こどもを守る

A非血縁的友好協力関係の由来

  • 哺乳類の群れが血縁関係を基盤に進化してきたことは明らかです。その一方、非血縁関係的な協力関係も進化してきたわけです。その最たる関係は人間における夫婦関係でしょう。もちろん、複雄的な群れにおける雌雄関係も非血縁的です。どちらの場合にせよ、雌雄間に共有の「こども」を育てる必要性が、雌雄の非血縁的結合を進化的にも心理メカニズム的にも高める作用をしてきたのでしょう。

  • こうした雌雄間の非血縁的連帯協力以外の非血縁的協力は、進化メカニズムとしては各自の進化的利益を高める形質(各自の子供の生存・繁殖機会の増大)として進化してきたものと思われますが、心理メカニズムとしては進化的利益に関係することがらは含まれていないように思われます。非血縁関係者同士の間の協力関係の持続が協力関係そのものを高めるというポジティブフィードバック機構が、協力関係の強化や協力性の個体発達に介在しています。

  • パーソナリティの5要素とされるのは、

      @外向性     :社交的で決断力があり、口がうまい。またリーダーシップをとるのを好む。
      A神経症的性格  :情緒不安定で、神経質。また怒りっぽく心配性である。
      B良心(誠実)  :計画性があり、きちんとしている。責任感があり信頼性が高い。
      C好感性(協調性):友好的で快活。同情心があり、暖かく親切で、気だてがよい。他人を利用したり騙したりしない。
      D率直性(開放性):洞察力が高く、知的好奇心が強く、独創性がある。想像力が豊かで、新しい刺激や経験に対して開放的である。

    ですが、いずれも個人差の約60%は遺伝的な成分によるものである、とされています。どれも各自の友好度を決めるうえで重要な因子になっています。

    氏か育ちか

  • 先述の自己防衛と利他愛との関係を表す大脳回路モデルから観ると、非血縁的友好協力関係が成立する為には、愛情回路に結合する他者認知回路が非血縁者によっても活性化されるだけでよいと思われます。

    • この非血縁的な友好協力関係が動物界において稀であるという事実は、必ずしも、そうした関係が遺伝的に困難であるということを示すものではありません。群れが、遺伝的制約としてか社会的(伝統的)制約のために血縁的であることを免れないとすれば、そうした非血縁的友好協力関係を見出すことそのものが(自然界)では不可能だからです。

    • ここで思い出されるのは、ローレンツの発見したインプリンティング(刷り込み現象)です。子による親の認知が早期刷り込み現象であるという話です。この場合、血縁認知が現実の血縁関係によるものではなく、生後初期における具体的な体験を通じて行われるという点が重要です。

        Imprinting. (↓の四項は←のページからの抄訳です)

        • インプリティングは人間を含むたくさんの動物種で生起するし、ローレンツが主張したよりももっと柔軟で緩やかなメカニズムを備えている。最近の知見でもっと重要なことは、インプリンティングを通じて形成された社会的絆が、エンドルフィン(脳自身の麻薬)の分泌を通して行われる麻薬中毒過程を伴っているという揺るぎ無い証拠が得られた点にある。

        • ある対象が刷り込みによる社会的結合のターゲットとなるのは、その対象のもつ何らかの側面(例えば形とか動き)が脳内のモルフィネ として働くエンドルフィンの生産を高めることによって、愉快で気持ちよい状態を作り出す場合にかぎられる。

        • ひとたびこのような刷り込みが生ずると、その対象は親近感を持ったものになるため、発達が進んでもずっと安らぎを与え続けることになる。たとえ、他の点では適当だが、経験したことが無いようものによって競合的な恐怖反応が引き起こされるようになってもである。

        • 結論:いわゆる臨界期は、カモやガチョウの雛が新奇なものに恐れを抱き始めるまで(約3日齢)やわれわれ自身の赤ん坊が見知らぬ人を恐れ始めるまで(約8か月齢)の期間のことである。臨界期を過ぎてからは、親密ではないけれど適当なものは十分に接触すれば親密になる。一度このインプリティングが生ずれば、それはもう恐怖反応を引き起こすことはないどころか、エンドルフィン生産を促進する能力をもつようになったのだから、いまや社会的絆の候補ともなっているのである。

    • 犬による主人の認知も具体的な体験のみが主人の認知過程に重要であることを如実に物語っています。こうした事実を敷延するならば、非血縁的友好協力関係の形成には仲間認知の具体的体験(友好協力関係)こそ重要である、という推論が可能になります。要は、個体としての排他性がどれほど弱められているか、という点に帰着されるのではないかと思うのです。

B社会的孤立や屈辱は人間にとって絶対的恐怖です。

  • この対極には集団的狂喜(乱舞)があります。お祭りのドンチャン騒ぎや団体競技から戦争、或いは男女のプライベートな性愛まで、すべてが集団的狂喜(乱舞)を与えてくれます。知性や理性による抑制を解放する度合いに応じてこの狂喜は高まり、歓びは大きくなります。社会本能実現のこの両極端の中庸にあるのが「愛や友情」と「自尊心や社会的存在感」である、と思われます。

  • 自尊心を保つとは群れメンバーとしての資格(価値)を実感するということです(そのようなものとして自覚されることはまずないでしょうが、生物学的意味としてはそのようなものでしょう)。自尊心に、対人的な感覚を交えたものが社会的存在感です。「己は人間としての価値をもっているか」ということですから、愛情交感とはまた別の人間関係、社会的活動(すべての行為)によって得られるものです。それは、おとなであれば職業(仕事)であったり、様々な団体運動であったり、、ということになります。こどもであれば、遊び、スポーツ、勉強、を通じて得られるものですが、どちらの場合にも、本人に対する社会的評価に基本的に依存している、という点で同じです。

    • 名声欲などの利己的欲望の強い人であれば社会的地位などの高さなどによって自尊心や社会的存在感を確認するかもしれませんし、社会共感本能の方が優勢な人であれば愛情交歓や共感だけで自尊心や社会的存在感を満足させるでしょう。

    • いずれの場合にも、良心の呵責や罪悪感が伴うようでは自尊心や社会的存在感は満足できませんし、そうしたことの積み重ねによって一挙に名誉を失わせ、自殺にまで追いつめる危険性があることは、世間の事件がよく教えるところです。

  • 自尊心や社会的存在感の完全喪失は絶対的屈辱感を、愛や友情の完全喪失は絶対的孤独感を人間に感じさせます。

  • 絶対的孤独や絶対的屈辱に対する恐怖は死に対する恐怖よりも強い: たとえば、いじめられることなどによって、この自尊心をいたく傷つけられると、人間は、己が群れメンバーとして不用であること、したがって、「生きていく資格」があるのかどうか自問せざるを得なくなるでしょう。そして、己がどの群れにとっても不用であるという虚像を最終的に抱いてしまったとき、人間は絶対的な孤独に絶望するはずです。このとき人間は自殺するしかありません。こうした事実は、人間にとっては、死に対する恐怖よりも絶対的な孤独の恐怖の方が強いことの揺るぎない証明となっていると思われます。また、このことは、人間にとって何が幸福かという問題と、どのようなかたちで死ぬのが幸福かという問題を考える上での重要な手がかりを与えてくれるでしょう。

    • 絶対的屈辱が隷属的関係(関係を結ぶ関係)であるのに対し絶対的孤独は疎外的関係(関係を放つ関係)です。

    • 愛と自尊心が満たされている限り、残りの欲望は付け足しのようなものです。しかし、そのどちらかの不満がある限り人間はその代償として、様々な試みを行います。それが、気晴らしの基本的目的でしょう。

    • その他、同様な自殺要因として、罪意識や責任感の重圧等が考えれられますが、これも群れメンバーとしての存在感(「有資格性」の自覚)の喪失という点で、絶対的孤独と本質的に異なることはないでしょう。

    • このほかにも、武士の切腹、心中、三島の自殺のように、いわば絶対的不幸(絶対的孤独)の帰結として行われるのでないような自殺もありますが、本ページの趣旨から外れるので今回は無視しておきます。

C群れの内には暖かく外には冷たい社会本能:

  • この属性には二つのことが関係しているものと思われます。第一に、愛や共感などは直接的な友好関係を通じてしか育めないという特性をもっているからです。第二に、愛や共感などの社会本能は、なわばりの単位を個体から群れに拡大したものであり、群れに対する危害に対しては自己防衛本能(攻撃本能)を駆り立てられるからです。

  • 戦争や部族間抗争が絶えない理由もここにあります。外敵の脅威(恐怖感)が強まるほど内部の群れの結束力は高まる、という属性もこれと似た関係にあります。

    • 学級内におけるグループ間のいがみあいなども似たようなものです。

    • いじめグループの面々は、苛められる側に対する優越感を抱くことによって自尊心や社会的存在感を感ずると同時に、いじめメンバー間での「友好」を通じて共感本能なり帰属意識なりを満足させているものと予想されます。ただし、いじめグループ内の結束には愛情の契機は一つもないと考えられますから、いじめ行為によっては社会本能を完全には満足させられないという予想も立ちます。

  • 現代における国内外の南北対立の温存の個人的契機は、群れの内には暖かく外には冷たい社会本能の基本属性にあるものと思われます。

D孤独と屈辱を強める現代的生活:

  • 絶対的な孤独にないという状態においては、単独生活者としての己が群れによって守られている(保護されている、愛されている)という状態の無自覚的な直感が成立しているものと思われます。利己的な生活では他者との共感は生まれ得ませんから、この直感は利他的な生活(社会本能の実現)を通じてのみ得られるものでしょう。

  • 現代先進諸国社会の文化規範の原則はヒューマニズムであり、「個人の自由の尊重」です。それはまた「利己的生活の自由」ですし、実際的にも利己的生活が優先されているのが現代です。このため現代人は基本的に孤独であると思われます。もちろん、個々人の生活形態に応じて、魂の奥底で潜在意識としてもつ孤独感の強弱も千差万別であることは当然のことです。

  • 同時に、現代人は基本的に社会的存在感を得にくくなっています。それは、群れが巨大社会に膨張したため、群れにおける個人価値が全般的に低下したことによるものでしょう。

    • 現代の深刻ないじめ問題。「いじめたい」という衝動の基本的な社会要因の一つは、自尊心を得にくい現代の子ども生活にあるだろう、と思われます。なぜなら、自尊心の満たされている子どもが「いじめたい」という衝動に駆られるとは到底思えないからです。

      • 自尊心の不満は、人間の根幹的不満なのです。いくら勉強が良くできて級友の称賛を浴びても、勉強のできる自分は、本当の自分ではなくて、親の満足のための道具であるとしたら、それは空しいものです。また、親が喜ぶとしても、それが親の自己満足のための歓びであったとしたら、当人にはそれが自分自身のための歓びではないことを敏感に察知してしまいます。

      • 親の果たせなかった夢を子どもが叶えてくれることは親の歓びには違いありません。また、子どもの名声が親の自尊心を満足させることも確かでしょう。しかし、子どもが親とは別個の人格(個人)であることを尊重しないと、結局、親は子どもを本当は愛していないことになるのです。なぜなら、その親が愛しているのは他ならぬ自分自身にすぎないからです。人間が他者(親にとっての子どもも)を愛するためには、その他者が自分にとっては神聖不可侵な存在であること(個人の尊重)の自覚、つまり他者に対する謙虚な態度が絶対的な条件である、と思われます。もちろん、親はわが子を躾なければなりませんが、あくまでもその子の自尊心を育むことが前提なのです。

    • もちろん、現代の「自尊心の不満」現象は歪んだ親子関係にのみ由来するものではありません。受験地獄(偏差値による社会的評価の烙印)や管理教育(学校教師の権威の低下の裏返し:権威という精神的支柱が崩壊すれば、精神的暴力に頼らざるを得ない)(管理からは学校教師による愛情を感じとることはできない)など改善すべきことはたくさんあります。しかも、思春期前後は最も精神的に不安定な時期であることは誰もが承知していることなのです。

      社会の重層化と「肉体と精神の不均衡」

    • 肉体的成熟は、現代社会では精神的(社会的)成熟より大分先行します。それは、社会人として成長するために学ぶべきことが、社会の重層化に伴って増大したからです。

    • しかし、例えば、思春期が性の目覚めであるとしても、それは同時に社会的正義への目覚めでもあり、社会的自己の目覚めでもあることが示すように、思春期は肉体的成熟と精神的成熟が乖離せずに進行するのがつい最近までの成長パターンであったろう、と思われるし、それが人間成熟の遺伝的プログラムであろうと思われるのです。しかし、いくら精神的に成長しても、親からの経済的独立がなければ、社会人とは言えない。この経済的独立を阻むものが産業構造の高度化です。

      • 少なくとも、昔の農業や狩猟採集の経済であれば、社会人になるために高校や大学で勉強する必要はありません。中学教育さえ必要ないでしょう。明治政府が「義務教育」を実施したのは、農業や漁業を支える人材が欲しかったからではなく富国強兵に役立つ人材を育てたかったからです。もちろん戦後は高度経済成長を支える人間が「期待される人間像」でありましたが。

    • つまり、産業構造の複雑化に伴い、現代の子どもの多くは社会人としての資質を得るのに昔よりずっと長い生長期間を必要とするようになってしまったのです。これはある意味で可哀相なことです。肉体はおとなになっているから、本人にしてみれば一人前のつもりでいます。だが、社会や学校はそのようには評価してくれません。この評価自体は正しいのですが、それを管理教育に転嫁するのは悪循環の構造を作るに等しいと言えるでしょう。

    • このような状況で何より求められていることは、主体性の尊重、つまり責任ある自己を育てるような躾と学校教育であろうと思われます。だが管理教育が育てようとするのは理想的兵卒であり、理想的兵卒は自己の行動に責任をとれる人間とは対極にある「奴隷」なのです。

自然保護の理念

現代における悪の相互増幅回路の図(1)

現代における悪の相互増幅回路の図(2)

D幸福の最低要件: まとめに代えて

  • 絶対的孤独と絶対的屈辱は人間にとっては死にも勝る恐怖です。また、良心に背く行為は後悔を生み、罪悪感(内的な恥)を重ねる行為は孤独と屈辱を深める道へ導きます。これに対し、社会本能の実現は永続的な満足をもたらします。したがって、社会本能(愛と共感)の実現を前提にし、その範囲内で利己的欲望を実現していくという道筋が大きな幸福感を持続させる鍵となっている、と思われます。

      Social ties and health: the benefits of social integration. Ann Epidemiol 6(5):442-51, 1996

      Aggression from a developmental perspective: genes, environments and interactions.

      Impact of social environment characteristics on neuroendocrine regulation.

        Psychosom Med 58(5):459-71, 1996

          良好な社会関係は視床下部-下垂体-副腎軸(HPA)や交感神経系の活性化を抑える傾向にあるが、不良好な社会関係をこれらのシステムを活性化する。したがって、社会的絆(良好な社会関係)が高いほど健康で生存率が高いという関係は、部分的には、社会的絆によって神経内分泌系の反応性が弱められるということで説明されるものと思われる。

      The influence of social factors on the response to stress.

        Psychother Psychosom 60(1):33-8, 1993

          親密な社会的パートナーがいる猿は重要な社会関係の喪失や恐怖感を誘発する刺激に対するコルチゾール反応が弱いか全くない。これとは逆に、社会的隔離、緊密でなかった猿たちとの新たなグループの形成、或いは餌探しに迫られるような状況のもとでの社会行動の破壊などはどれもコルチゾール分泌を高める。この亢進はこのような状況がなくなった後も続く、という点は特に重要で、慢性的ストレス症状の動物モデルとして使えるものと思われる。

      Hypothalamic-pituitary-adrenal responses to brief social separation.

        Neurosci Biobehav Rev 21(1):11-29, 1997

          たくさんの種で一般的に言えるのだが、感情的な愛着を示すパートナーの分離は迅速的で持続的なHPA応答をひきおこすが、愛着関係にはない affiliative なパートナーの分離の場合にはそのような応答がない。


    あなた方は私に大地を耕せと云う。ナイフをとって母の胸を引き裂けと云うのか。
    あなた方は私に草を刈って干し草をつくり、それを売って白人のように金持ちになれと云う。
    しかし、母の髪を切り取るようなことができようか

    スモハラ(インディアン酋長)
    原子論者ボイルに反論して(ヴァンダナ・シヴァ「生きる歓び」より)

    (since 02/16/99)