人間の尊厳とクローン人間

兵卒

理想的兵卒はいやしくも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。
絶対に服従することは絶対に責任を負わぬことである。
すなわち理想的兵卒はまず無責任を好まなければならぬ。


芥川(侏儒の言葉、1927)


本ページの概要
 ここには,クローン人間作成を巡る諸問題についての私の論考5つにリンクをはってあります。お急ぎの方は、最も短い「投書」を読んで下さい。
 また、リンク集とスコットランド教会によるクローン問題に対する検討にもリンクしました。
 また、私の論考5つの経緯についての説明文を載せました。
 なお、5つの論考は互いに重複する部分がありますがご了承ください。
 5つの論考は、脱稿当時の文章のまま掲載します。ただし、時間を見つけ次第、それぞれの文書内にリンクをはり、補足説明したいと思っています。
「クローン人間について考える」
談話室での議論にご参加ください

まとめに代えて

人間の尊厳

人間の尊厳という問題は、クローン人間作成問題に限定されるものではなく、現代の先端医療技術全般の問題であるとともに、個人の価値が貶められた歪んだ現実(「いじめたい」という衝動を抑えられないこどもたち)の反映でもあります。 「人間の尊厳」という社会的スローガンが生まれること自体が、人間の尊厳が侵されている社会的事実の何よりの証拠です。
 では、そもそも人間の尊厳とは何か、ということになると、58年版哲学小事典(岩波)には項目自体がありませんし、90年版現代哲学概論(青木書店)では論じることは論じているものの、定義は一切行われていません。が、

人間が他者の手段としてではなく、己自体の目的のために存在する状態

を「人間の尊厳」とみることができる、と私は思います。

人間の重要な本性の一つに自尊心があります。人間関係において自尊心を傷つけられることはいくらでもあります。純粋に個人的な人間関係(例えば男女関係)と文化的な要因に基づく社会的人間関係とに大別できますが、このうち後者による自尊心の尊重を、人間の尊厳といってもいいのではないか、と思います。

こどもたちの「いじめたい」という衝動は、自尊心の不満による爆発、とみることもできるでしょう。このような「自尊心の不満」という強制的抑圧は、家庭、学校、地域、国家による構造的な社会的抑制によって生まれるわけですから、「人間の尊厳」問題といって良いでしょう。

念のために付け加えると、「いじめられる」子は明らかな被害者ですが、「いじめる」子は加害者であると同時に、「目に見えぬ」加害者による被害者なのだ、ということです。

各個人が、十分に「自尊心を満足させられる」社会的条件が整うとき、健全な社会になる、といえるでしょう。ところが、おとな(大人ではない)が(上司におもねったりして)自ら卑屈に生きているような現実では、こどもに「卑屈に生きよ」と教えているようなものです。

正義よりも保身を重視するおとなは、自尊心を捨てることによって経済生活の保証(つまりカネ)を勝ち取ります。

    このような単純な割きりは大きな反感を買うかもしれませんが、成人が「汚いおとな」のイメージをもってみられることは少なくともわが国の現状であることを否定することはできません。これは、単に政治家や官僚などに限定されたものではありません。その「汚さ」の本質がどこにあるかといえば、、、「汚さ」の定義から明らかですね。
この生活形態が、戦後日本の経済成長を支え、内外の自然環境(住環境)を破壊し、そして政治腐敗をはじめとする汚職の構造を支えてきたわけです。こうしたつけの端的な現われが「いじめ」であろう、と私は思うのです。

クローン人間といじめは、ある意味で全然異なった問題ですが、そこに、現代社会に共通した「人間の尊厳」の形骸化が絡んでいると思うのです。

     

受精卵の超人為性と生命の神秘

生命の神秘という言葉は二通りに用いられています。一つは、生物学が解き明かす生命の巧妙なしくみに対する驚きと賛嘆を表す場合です。もう一つは、神聖不可侵な存在としての生命に対する畏怖の念を表す場合です。

科学は、自然の法則性を発見する学問です。自然は、必然と偶然が絡み合っています。例えば、人間が男女の愛情過程によって誕生する、という事実はごくありふれた自然の必然的法則に属します。しかし、どの男とどの女が巡り合うかということは、運命的巡り合いという表現があるように、自然の偶然的法則に属します。同じように、精子と卵子による受精は必然的法則ですが、どの精子とどの卵子が現実に受精するかということは、偶然に支配されています。更に、実際に受精卵として生まれ変わることに成功した精子と卵子が、減数分裂の過程で遺伝子組換えを行う、ということは必然的ですが、実際にどのような組換えが起るのかは、これまた偶然的法則なのです。一言で言うと、

必然性は内的偶然性を伴ってのみ現象する

のです。

科学は、自然の必然性を解明し、ある程度の予見能力を備えることができます。しかし、自然の偶然性については、偶然性にまかされている、という事実を指摘すること以上のことはできません。偶然の具体的内容を予見することは絶対にできないのです。

このため、科学が進歩すればするほど、驚きと賛嘆としての「生命の神秘」は増しますし、逆にどんなに科学が進歩しても、畏怖の念としての「生命の神秘」は神聖不可侵の状態を保つことができるのです。

仮に、両親の全遺伝子組成が明らかになっても、その両親に由来する受精卵の全貌を明らかにすることは絶対に不可能です。もちろん、例えば、X染色体上の色盲遺伝子が遺伝する、という類のことは予見できますが、個々の精子や卵子の遺伝的内容(ゲノムセット)は遺伝的組換えや突然変異を通じてそれぞれに異なっていますから、受精卵の全貌は不明のままに残ります。

全く同じように、生物進化の道筋も論理的枠組みとしては予見可能ですが、具体的内容については全く予見できません。進化の素材である突然変異や遺伝的組換えが起ることは必然ですが、いつどのような内容で起るかは偶然的だからです。

5つの論考の経緯

本稿(人間の尊厳とクローン人間)(1997年6月29日脱稿)は、朝日新聞文化欄への没原稿です。投稿のきっかけは、朝日新聞1997年5月29日付「論壇時評」にあります。

そもそも、ドリーの誕生が発表されても、クローン人間作成など独りでに闇に葬り去られるだろう、と私は高を括っていました。しかし、「論壇時評」によってわが国では推進論が展開されていることを知りました。同時に、「論壇時評」そのものが、クローン人間作成容認論を展開していることに驚きと憤りを覚えました。 

クローン人間作成に対する、より詳細な論考は本学で開講している導入科目(一年生用教養科目)「生物物理学」の講義資料(クローン人間の孤独と屈辱)(6月15日)として配布し、2回の授業(計3時間)で解説しました。また、これに先立ち、「論壇時評」を読んでもらい「クローン人間について考える」というテーマでレポートを提出してもらいました。また、「論壇時評」がどのような世論を誘導したか、読前読後の意見変化について無記名アンケート調査を行いました。調査結果(有効回答数180名)は「クローン人間作成と世論誘導」というレポートにまとめ、前記の講義資料とともに配布しました。

なお、学生のレポートについてはまだ完全に整理していませんが、若い感受性を反映して、クローン人間の側に身を寄せて考察する、つまりヒューマニズムの立場からの論考がかなりあったことに安心感を抱きました。ただ、講義資料にも述べましたが、クローン人間作成そのものに内在する悪を指摘するレポートは皆無で、その代わりにクローン人間作成のもたらす社会的二次効果(社会が健全であれば生まれないような弊害)、例えばクローン人間やーい、といったような差別問題を憂うレポートが多かったように思います。

また、中には、「論壇時評」の論理的誤りや、国民蔑視の傲慢性を指摘する鋭いレポートもあり、感心しました。ただ、全体としては、「クローン人間作成と世論誘導」で指摘したように、「論壇時評」の方向に意見修正した学生が約25%ありました。

「論壇時評」に対する批判(97年6月6日脱稿)は、ここに初公開します。

なお、朝日新聞98年1月24日付「社説」では、クローン人間作成は人間の尊厳に反する、と主張されています。クローン人間作成に反対するという点は大歓迎ですが、反対の論点はとても「危うい」というか、危険。そこで早速、朝日新聞「声」欄に投書しましたが、これも没にされました。

五つの論考
論壇時評を読んで 1997年6月 6日脱稿
クローン人間の孤独と屈辱 1997年6月15日脱稿
クローン人間作成と世論誘導 1997年6月15日脱稿
人間の尊厳とクローン人間 1997年6月29日投稿 没
クローン人間の尊厳 1998年1月26日投書 没



クローン技術に関するリンク集(農水省畜試 繁殖部生殖工学研究室)
社会・宗教・テクノロジー プロジェクト(スコットランド教会)

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