異説「ゾウの時間 ネズミの時間」


ある理論体系に対して、明らかな例外が認められたら、
直ちにその理論体系を廃止、改変すべきである

白上謙一、生物学と方法(1972)より


「ゾウの時間 ネズミの時間」の主な結論の一つ「哺乳類の生命活動の総量は一定である」は

顕著な例外の存在によって(論理的には100年近くも前に)否定されています。

生物学に例外はつきものである、とは昔よく言われたことです。しかし、法則や原理と呼ばれるものに例外があるのなら、それが法則や原理としては誤りであることは自明のことでしょう。学問の進歩とは、こうした例外的事実を包含的に説明する法則を発見することによって成し遂げられるといっても良いのです。だから、例外の存在に科学者は胸を躍らせ、未知の理論の発見にいそしむのです。

1992年に出版された本川達雄氏の「ゾウの時間 ネズミの時間」はとても良く書けた面白い本で、ベストセラーにもなりました。皆さんの多くも読んだことがあるかも知れません、人づてにその内容を聞いたことがあるかもしれません。

本川氏が紹介したところによれば、哺乳類の生理的限界寿命(または最長寿命記録)はからだのサイズの4分の1乗に比例して長い、とされます。また、心臓の拍動や呼吸活動の一周期にかかる時間も同じ関係(からだのサイズの4分の1乗に比例して長い)にあるので、哺乳類各種の個体がその生理的限界寿命の間に行う心拍や呼吸の回転数はサイズに関わりなく同一である、とされます。ネズミの生活テンポが速く寿命も早く来てしまうのに対して、ゾウに流れる時間はゆったりとしていて寿命も長いように見えますが、生命活動の総量としては同じなのだ、ということです。

この話はとても面白いのですが、実は間違いなのです。哺乳類におけるサイズと生理的限界寿命に関する4分の1乗則には、重大な例外が知られているからです。霊長類とコウモリです。ゾウ自身も4分の1乗則よりは長く生きますし、ネズミ自身は4分の1乗則より寿命が短いのです。

皆さんは、「パンダの親指」(グールド)という本を読んだことがあるかもしれません。その「生物学的時間」の章に、霊長類とコウモリの生理的限界寿命が、前述の4分の1乗則よりずっと長いことが指摘されています。また、人間の限界寿命が例外的に長いことはもう100年近くも前から知られていたことです(Rubner(1908))。
 

    実際に、私たちの限界寿命を4分の1乗則にしたがって計算してみましょう。本川達雄「ゾウの時間 ネズミの時間」の131ページで限界寿命()は次式で与えられています。

    LT()≒ 6.1 × 106 ×M0.20

    ただし、Mは1kgに対する体重比率です。

    • 体重が60kgであれば体重比率は60です。言い換えると、Mはあくまでも無次元量(単なる数値で、質量とか長さとかの「次元」をもたない量)なのです。1kgに対する相対体重とか、相対質量や相対サイズなどと呼んでもよいでしょう。無次元量であるべきなのは、例えば、体重の2乗とか、平方根、四分の一乗根とかが意味のある量を表すことはできないことから簡単に察しがつくでしょう。

    人の体重を60kgとすれば、この式で与えられる人の限界寿命は 1.38 x 107分、つまり26年です。

    因みに、SJ グールド「パンダの親指」の依拠した Stahl (1967) の場合は、

    LT(年)≒ 7.5 × M0.29

    が限界寿命()を与える式ですので、人の限界寿命は25年と計算されます。

    また、人の心拍を毎分70回として、生理的限界寿命100年(実際はもっと長いですが)の間に心臓が何回拍動するか計算してみましょう。1年=365日=365x24x60分=525600分。したがって、100年間の心拍数は、70x100x525600回≒3,700,000,000(37億)回となります。本川達雄「ゾウの時間 ネズミの時間」では「哺乳類ではどの動物でも、一生の間に心臓は20億回打つという計算になる」とされています(ただし、上述の関係を用いると大体8億回のはずですが)。

例外なのは、限界寿命だけではありません。妊娠期間、乳離れ齢、、、性成熟齢など、発生や成長、成熟に関わる事柄、一般的に生活史と呼ばれる事象のタイミングは、綺麗な四分の一乗則に随わないのです。限界寿命が四分の一乗則の予想する値より長いもの(ちょっと長ったらしい表現になるので、このことを、限界寿命が相対的に長いもの、と表現しておきます)は、概して、生活史全般も相対的に長くなっているのです。短いものについても同様です。

これに対し、心拍の速度とか呼吸の速度などは、綺麗な四分の一乗則に随います。

    ここで、新しい用語を導入します。

    筋肉の収縮とか、呼吸とか、酵素反応とかの進行速度を、総称して代謝テンポと呼びます。つまり、日々の生命活動で、毎日同じように繰り返されるような活動、あるいは生理現象などの速度です。生理テンポとか行動テンポと呼んでもよいでしょう。もちろん、活動度に応じてこうした速度は変化しますので、こうした議論においては「安静時」のテンポを用いています。

    • 科目「生物物理学」では、人体のエネルギー変換速度(つまり仕事率)は約100ワットである、としました。

    • 仕事率と代謝テンポはともに「速度」ですから、互いに密接な関係にあることが予想されます。事実、比仕事率(固有仕事率)specific power を代謝テンポとみなすことができます。

      • 比仕事率(固有仕事率)とは単位体重あたりの仕事率のことです。仕事率そのものではなく比仕事率(固有仕事率)を用いるのは「基準」を揃えるためです。これは、生化学の分野で酵素活性を表すのに比活性 specific activity を用いるのと同じ意味を持っています。異なる酵素どうしの活性を比較したり、異なるサンプル毎の酵素活性を比較する場合には基準を揃えることが必要条件です。このとき、例えば一細胞あたりどれだけの活性なのかとか、細胞総蛋白質を1mgにみたてたときその酵素の活性はどれくらいなのか、というかたちで比活性を表現するのです。同じように、比仕事率(固有仕事率)を用いれば、異なるサイズの動物どうしで仕事率を比較する基準にすることができます。

      • 事実、力学的時間から見た哺乳類の代謝テンポにみるように、比仕事率は、呼吸速度や心拍速度と同じように四分の一乗則にしたがいます。このため、サイズが16倍になるとテンポは2倍遅くなるのです。

    これに対し、受精卵が発生して、成長し、成熟し、老化し、死んでいく過程を、一般的には生活史 life cycle と呼びます。そうした生活史上の出来事の一つ一つは、生活史の中で一回きりの事象です。こうした生活史事象が進行する速度を、生命サイクルテンポと呼ぶことにします。生活史テンポと呼んでもいいです。生命とは、こうした生活史の位相進行のことです。詳しくは、「代謝テンポと生命サイクルテンポ」を御参照下さい。

つまり、哺乳類の代謝テンポは四分の一乗則に随うのに、哺乳類の生命サイクルテンポは四分の一乗則に随わないのです。このことから、哺乳類の代謝テンポを支配する法則と哺乳類の生命サイクルテンポを支配する法則は異なる、ということが直ちに結論できます(表現を言い換えただけです)。

両法則がどのようなものか、まだ、私たちは知りません。代謝テンポの四分の一乗則については、「ゾウの時間、ネズミの時間」にいろいろな仮説が紹介されている通りです。生命サイクルテンポが随う法則については、「パンダの親指」に若干の記述がありますが、現在もう少し理解が進んでいます。

    相対的に生命サイクルテンポがゆっくりな哺乳類は、生態学的死亡率の低いグループです。同じように、
    相対的に生命サイクルテンポがはやめの哺乳類は、生態学的死亡率の高いグループです。
      「相対的に」という言葉は、四分の一乗則の予想する値に比べて、という意味でした。したがって、次のように言うこともできます。
生態学的死亡率の高い(低い)グループは、サイズの割に生命サイクルテンポが速い(遅い)

どうして、このような関係が生まれるのでしょうか?

これについては、性と老化と寿命とで考えたいと思います。

 

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